一般財団法人 知と文明のフォーラム

活動報告

  • 第14回セミナー 2009年10月24・25日 
  • 「生殖革命」と人間の未来
  • 講師:江原由美子、中嶋公子、長沖暁子、青木やよひ 司会:石田久仁子

  • はじめに
    青木やよひ
     昨年から今年にかけて、「代理出産」を法律で認めるべきか否か、あるいは不妊治療の受精卵取り違え事件などによって、生殖医療をめぐる論議が高まり、国民的議論を重ねたうえで早急に法制化すべきだとの声が挙がっている。
     この問題については、不妊の夫婦が生殖技術を使って子をもうけるのは、憲法第一三条に保障された「幸福追求の権利」であるとする主張と、生まれてくる子の将来に重大な個人的・社会的問題が生じるだけではなく、生殖という人間本来の営みに科学技術が介入することは、遺伝子操作などバイオテクノロジーによるクローン人間への道を開きかねない、これは同じ憲法第一三条で前提とされている「公共の福祉」を根底から揺るがすものである、という主張とが真っ向からぶつかり合い、決着するにいたっていない。
     いま私たちは、これを人類史がかつて直面したことのない現状として認識するとともに、この問題のもつ文明論的な意味を考えなくてはならない。

     10月24、25日に標記セミナーが開かれた。私は今回初めて参加させていただいたいわばセミナー新入生だが、参加者は30名ほどで、ヴィラ・マーヤ・セミナーはじまって以来の盛況だったそうである。

     初日はセミナーの企画者、青木やよひさんのごあいさつで始まった。最初の報告者は首都大学東京の江原由美子さん。テーマは「フェミニズムと生殖革命—−その問題点と展望」で、女性の自己決定権と生殖技術の進展をめぐる全体的な見取り図が次のように提示された。

     近代の出発点である「人権宣言」は、人(=男)と市民(=男市民)の権利宣言であり、自由権(人身の自由)はその基本にあった。しかし、「女性の人権」は初めから排除されていた。フェミニズムのたたかいは、「女性の人権」の獲得の歴史であった。女性参政権獲得後、「女性の人権」の課題として残ったものの一つに、女性にとって最も重大な性と生殖をめぐる権利、つまり女性の身体の自己決定権があった。

     体外受精(=胚移植技術)が出現するまでは、この女性の自己決定権と生殖技術の進歩の間に矛盾を見出すフェミニストは少数だった。生殖技術が国家によって利用されることを危惧していた女性たちである。しかし1978年の体外受精児誕生を境に、フェミニズムと新しい生殖技術との間には齟齬が生じ始める。不妊治療として開発されたはずの体外受精は、生殖機能の市場化、代理母や卵の提供といった女性の身体の道具化を促進させる一方で、成功率の低さゆえに、必ずしも不妊カップルへの救いとはならず、むしろ不妊に苦しむ多くの女性へのさらなるプレッシャーとなっているからである。さらに、生殖補助医療の進歩は生命操作や遺伝子操作を可能にし、その結果、優生思想の強化を危惧させるからである。それ以来、女性たちはこれまでの自己決定の主張を問い直し始めた、と江原さんは言う。

     生殖を身体から引き離し外部化し、他者の身体の支配をもたらす「生殖革命」は、女性の自己決定権を困難にする。なぜなら、自己決定権は、他者の身体をコントロールしないようにするわれわれの義務としての「自己決定権の尊重」に基づくべきものだからだ。生殖技術の革新は女性に自由をもたらしたのか。私でもあり他者でもある胎児を自己決定に包摂できるのか。生殖の領域はすぐれて、自立した個々人を前提とするリベラリズムの虚構性をあぶり出す。近代の人権思想が生み出した自己決定権は、「生殖革命」に直面した女性の自己決定権の困難を通して再考され、他者の身体を支配するものとはなってはならない。 

     続いて日仏女性研究学会代表の中嶋公子さんが、江原さんの問題提起を引き継ぐかたちで「女性の身体の自己決定権とその困難——フランスを中心に」をテーマに報告した。その内容は、フランスや欧州の具体的事例、データを挙げながら、「身体の自己決定権=自己の身体の処分権」を青木やよひさんが提唱する「生殖倫理」にどうつなげることができるのかという問いを軸に組み立てられたものだった。

     人工妊娠中絶の権利の現状を例にとっても、女性の身体の自己決定権は、先進地域のように思われがちな欧州でも、実は、基本的人権として確立してはいない。一方では、生殖技術の進展によってもたらされた「産む自由」、「産まない自由」の拡大は、いくつもの倫理上の重大な問題を引き起こし、この権利の確立をさらに困難な状況においている。

     生殖倫理の視点からとくに注目すべきは、着床前診断、出生前診断による選択的中絶と代理懐胎の問題だ。前者は、自己決定権を通して、直接、優生思想に結びつく可能性をもつ。国家の優生学は個人の優生学を通して行われるようになったのだ。後者は、自己の身体の処分権を越えて、他者の身体の処分の領域(他者にとって―—この場合、代理懐胎を引き受ける女性―—、それが自らの身体の自己決定であるとする立場をとるフェミニストがいるとしても)に踏み込む、つまり他者の身体の支配だけでなく、生まれる子どもや代理母の家族までも巻き込み、母体の細分化や親子関係の複雑化をもたらすからである。さらに、代理懐胎は、同性親の問題をも提起する。

     生殖技術に関する日仏の違いは、フランスの場合、生殖技術の拡大を前にして、国家倫理諮問委員会を設置し、国や市民のレベルで倫理的な視点からの議論があり、それが生殖関係の法律に活かされているのに対し、日本では倫理が不在のまま法がつくられていることにある。生殖は、産むという行為は女性の身体という場で展開する。生殖の倫理を考えるときに、女性がこの経験を自らの言葉で言語化していく必要がある。なぜなら、自己決定権を生み出した近代の人権思想は、男性の身体を普遍的なものとし、女性の身体の経験はそこから排除されているからであると、中嶋さんは強調した。

     2日目は、まず慶応義塾大学の長沖暁子さんが「生殖技術とは何か……当時者の視点が与えるもの」と題して報告した。長沖さんの自己紹介にも「学生時代に出会った優性保護法と専攻した発生学が〈生殖技術と女のからだへの自己決定権〉というその後のテーマを決めた」とあったが、生物学者と運動家としての視点が交差するきわめて固有な立場からの報告だった。

     1953年のDNA発見以来の生命工学の歩みの中に体外受精の技術を位置づけると、それが開く「地平」は生命全体に及ぶことが分かる。長沖さんは、だから倫理を問うのであれば、生殖に限らず生命全体の倫理への問いが必要だ、とまず主張した。続いて、女の身体を実験台にした自己決定権を狭めるものとしての生殖技術、その背景にある機会論的自然観や遺伝子還元主義や父権主義や優性思想を根源から問い直した1985年のフィンレージ会議の決議文が紹介された。その後あきらかになっていく生殖技術の問題点のほぼすべてがこの決議文ですでに指摘されていたことが分かる。さらに、日本における運動として、クラインの『不妊』翻訳をきっかけにできた自助グループ・フィンレージの会、さらに2005年にできた非配偶者間人工授精で生まれた人たちの自助グループDOGの取り組みが紹介された。

     当時者の語りがこの二つのグループの活動の基本である。生殖は私的行為であると同時に、社会的規範や価値観にも規定された、社会が介入してくる行為でもある。だが不妊は個人の問題でしかないかのように、個人による解決が、自己決定が求められる。そもそもアプリオリに自己決定などは存在しない。これまでの女たちの自己決定の主張は、それができるように社会を変革するためのものでもあった。だからこそ、当時者が出会い語り合い個々の体験を整理し、当時者以外の人々と共有できる経験や知識にしていくことが不可欠で、そのための当時者へのサポートが必要である。それをもとに自然・家族・生殖・生命等に係る多様な価値観を創造することが重要で、そのことを通してしか科学の枠組みの転換、社会の変革はできないとのではないか、と長沖さんは報告を締めくくった。

     続いてセミナーに参加していた前述のDOGのメンバーの一人がグループの活動やAIDから生まれた子どもとしての経験を非常に整理されたかたちで語ってくれた。午後の自由討論でも、このグループのもう一人のメンバーが勇気ある発言をしてくれた。彼女たちの言葉が私たちの胸に重く響いた。これが長沖さんの言う経験の共有化だと思った。子どもが係る技術はけっして自己決定の枠には入らないことを私たちは実感できた。

     三つの報告を受けて、最後に青木やよひさんが「私の問題提起――生命倫理から生殖倫理へ」と題する文明そのものを根源から問う問題提起を行なった。今日、生殖の人工操作が可能になった段階、とりわけ女性の卵子が体外に取り出され人工授精されるという段階から、生殖という生物的・社会的行為が人類史上始めての重大な転換の局面に到達したが、このクリティカルな転換が一般に認識されにくいのは「幸福追求の権利」のもとにどのような手段を使っても子を得るのは当然とする社会通念があるからだとし、それが「公共の福祉」の根底をゆるがしている。この状況を変えるためには従来の生命倫理の枠を大きく超える「生殖倫理」が必要であり、それによって人間とはなにか、生命とはなにか、大自然や宇宙と人間との関係はなにかを問いなおし、文明とその思考体系のあり方を変えなくてはならないと論じた。

     さらに北沢方邦さんからは、私権、肥大化した欲望の正当化にもつながり得る「自己決定権」に代わる概念としての「個人の主権」が提案された。

     昼食後の参加者全員による自由討論では、自己決定と「社会」、生殖技術と家父長制、生殖と「自然」、生殖倫理の観点からの生殖医療の実施のされ方や子どもの「福祉」等の様々な問題について活発な意見交換が行なわれた。私自身も、大変刺激を受けた2日間だった。今回の議論がさらに深まるような新たな企画の実現を期待したい。  

    追記:この報告を書き終えた直後に、青木やよひさんの訃報に接した。青木さんのご冥福を心からお祈りするとともに、セミナーを通して青木さんから私たちへ伝えられたことをしっかりと引き継いで行きたいと思う。(石田久仁子)

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