パッラーディオの街、ヴィチェンツィア
澄み切った空、乾燥した空気、響きわたる教会の鐘、塔の尖頭を舞うアマツバメ。これが私にとっての、イタリアの第一の印象である。カーサ・モレッロ(B&B=民宿)を出て、川幅隅田川よりやや狭い、しかしはるかに自然の残るバッキリオーネ川を渡ろうとすると、テアトロ・オリンピコの塔が見えてくる。その周りを、高く、低く、アマツバメが舞う。ヨーロッパにいる!という実感がわく。
今日も好天である。マッティオッティ広場を抜けて、ヴイチェンツァの街を散策する。ヴィチェンツィアは確かにアンドレア・パッラーディオ(1508-80)の街である。街の中心、シニョーリ広場の格調をいやがうえにも高めているのは、パッラーディオが16世紀に大改築をした巨大なバシリカ(高位の教会堂、↓写真右。左もパッラーディオ設計のヴェネツィア共和国総督官邸)であるし、市中には彼が設計したパラッツィオ(宮殿)がいくつもある。

古代ギリシア・ローマ時代の建築を理想と考えた彼の理念にふさわしく、それらのパラッツィオは壮大かつ優美である。そしておそらく彼は、ヴィチェンツァという街の大改造にも関わったのではないか。街の中心を南北に走る大通り(パッラーディオ通りと呼ばれる)の両側に建ち並ぶ数々の建物は、建築年代は様々だけれど、パッラーディオの精神が息づいているような気がする。均勢のとれた古典的な美しさ――街並みからは、大げさにいえば、「思想」を感じとることができる(写真↓)。これは、今回私が訪れた街のほとんどから受けた感懐でもあるのだが。

1994年に世界遺産に登録されたこの街は、しかし「博物館」ではない。建物の古さそのままで、現代に生きている。後期ルネサンスのパラッツォが、銀行であり、ブティックであり、レストラン(写真↓)なのだ。


マクドナルドまでがこの古典美の街に溶けこんで、格調の高さを共有している(写真↓)。この街の景観を保つためには、おそらく様々な規制があることだろう。その不便さを甘受することなくして、古いものは残せないにちがいない。

マクドナルドといえば、私の訪れた街のどこでも、その店輔が見られた。ミラノなど、世界でもっとも美しいといわれる商店街に、かのプラダやルイ・ヴィトンと並んで店を構え、まことに堂々たるものであった。マックの「健闘」が極立つのは、私の印象では、それがほとんど唯ーのチェーン店だからである。スターバックス、タリーズ、ドトールなど、日本の都市を征服したチェーン店などどこにも見当たらない。イタリアのカフェ文化は健全そのものであった。
ヴィチェンツィアに話を戻そう。数あるパッラーディオの建築物のなかでとりわけ有名なのは、バシリカを別にすれば、テアトロ・オリンピコとヴィッラ・アルメニコ・カプラ(通称ロトンダ)であろう。テアトロ・オリンピコは宿に近く、その前のマッティオッティ広場はもっともなじみ深い場所になっていた。
テアトロ・オリンピコの外観は、中世の城塞をそのまま利用したというだけあって荒々しく、とても劇場とは思えない(写真↓右手奥が入口)。

しかし劇場空間に一歩足を踏み入れると、まったく異世界に迷い込んだような錯覚にとらわれる。ルネサンスの街から古代ローマの円形劇場へ! しかも舞台を三方から囲む壁面全面に、ギリシア・ローマ風の彫刻群。開口部が3ヵ所あり、その奥には5本の街路が放射線状に広がっている。と思いきや、それは遠近法を利用したトリックであった。舞台を見下ろす客席は半楕円形で木製である。その最上部はまた多くの彫像に取り囲まれている(写真↓)。


この劇場はパッラーディオの死後、弟子のヴィンチェンツィオ・スカモッツィ(1548-1616)によって完成させられた。開場は1585年。そのときの演目はソフォクレスの『オイディプス王』であったという。ゲーテも足跡を残しているこの劇場に、天正遣欧少年使節団が訪れたという事実は感慨深い。劇場内のフレスコ画にそのときの様子が描かれているが、その訪問は開場とほとんど同時期だったことになる。年端もいかない少年たちが、なんと遠くまで旅したものだろう(写真↓)。

ロトンダ(街の人はこう通称している)は、郊外の小高い丘の上にあった。田園風景のなかに、キリリと、しかも悠然と建つその姿は、古代ローマの神殿を想起させる。均衡のとれた姿かたちはもちろん、その白さが一層高貴さを増す(写真↓)。

ロトンダは「丸い」という意味のイタリア語で、この名称は建物中央の円形のホールとその上のドームに由来するという。高位の僧の隠遁家屋として計画されたようだが、やはりスカモッツィによって完成させられた。後世の建築物に与えた影響は大きく、例えば合衆国のホワイトハウスはその典型である。
私たちは飲みものとケーキを携えて、ピクニック気分でロトンダ見物に訪れた。旧市街から車で十数分。陽射しの強い日だったが、建物を取り巻く芝生の木陰でのひとときは至福の時間であった。田園から吹きわたる風は涼しく、目の前には壮麗なロトンダ。室内を装飾する見事なフレスコ画についての話題も尽きなかった。
2011年9月1日 j.mosa



