ジョットの深い青―スクロヴェーニ礼拝堂

イタリアは何よりも美術の国である。フィレンツェやヴェネツィアはルネサンス芸術の本場であるし、他の都市もこと美術となると見所は尽きない。しかしこの報告では、ウッフィツィ美術館のボッティチェリをもパスをして、私が最も感銘を受けたジョットの絵について触れてみたい。そもそも、1ヵ月間もイタリアにいて、美術館にはほとんど足を踏み入れなかった。街全体が美術館である都市は多いし、教会や礼拝堂などには絵画やフレスコ画があふれている。美術館に入るのはいかにももったいないと思われた。

美術にも造詣が深いオペラ仲間のUさんが、是非訪れたい場所として挙げたもののひとつが、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂であった。美術史に暗い私はその名を耳にしたことはなかったが、とにかく彼女たちに従いていくことにした。

パドヴァは、宿のあるヴィチェンツァとヴェネツィアの中間、ややヴィチェンツァ寄りにある。電車で約20分と、気軽に訪れることのできる距離にあり、路線はフィレンツェにも通じている。人口は約21万人、ヴェローナよりも少し小さな都市である。北イタリア最古の都市といわれるくらい古い街で、パドヴァ大学も創立1222年とイタリアで2番目に古い(最古の大学はボローニャ大学)。しかし都市化も進んでいるようで、街としての魅力はさほど感じなかった。

パドヴァ大学の回廊

ガリレオ・ガリレイも教壇に立たったというパドヴァ大学を見学したあと、私たちはエレミターニ市立美術館に向かった。目的のスクロヴェーニ礼拝堂はその中にある。見学には予約が必要で、私たちはすでに日本で済ませていた。予約日時は7月5日の17時。見学時間は20分間と短い。汚染された外気をできるだけ遮断するという、絵画の劣化を防ぐための方法がとられている。

エレミターニ市立美術館

 スクロヴェーニ礼拝堂

さて、縦20.5m、幅8.5m、高さ18. 5mの小さな礼拝堂の壁面全体に描かれているのは、ジョットの手になるフレスコ画である。ヨアキムとアンナ(マリアの父母)、マリア、キリストと、3組の物語絵が合わせて38枚、左右の壁を中心に描かれ、さらに入口の上部には大きな最後の審判の絵がある。堂が完成されたのは1305年。パドヴァの裕福な商人・銀行家、スクロヴェーニの個人的な礼拝堂であったとのこと。当時ジョットは、40歳前後の働き盛りであった(スクロヴェーニ礼拝堂の公式サイト参照
http://www.cappelladegliscrovegni.it/ )。

控え室で10分間ばかりビデオを観せられたあと、私たち(15人くらい)は堂内に案内された。入堂するや私は、一瞬にして、色彩の渦、それも透明極まりない渦に巻き込まれて、呆然自失の態であった。四方の壁、そして天井から、柔らかい色彩が降り注いでくる。何よりも、深い青に圧倒される思いだった。天井は青一色、そこに無数の星が瞬いている。

壁に描かれた50点以上の絵(3組の物語絵以外に、12点の徳・悪徳をテーマにした絵もある)はそれぞれ意味を持っている。私に理解できるのはそのうちのー部分でしかなかったが、ジョットの描こうとしたものが、多少は分かったような気がした。瞬時にして理解できる、あるいは分かったような気になる、これこそ美術という芸術のすごさだろう。音楽はもちろんのこと、文学などにも到底及びもつかない力である。

タイトルを「キリストへの哀悼」という1枚の絵がある。磔から降ろされたキリストが仰向けに横たわっている。何人もの人たちがその周りをとり囲み、涙に暮れている。そのなかに、キリストの首を抱え、その死に顔をくい入るように見つめる女がいる。哀しさは、青い衣服のこの女に凝縮されている。その苦しみの表情は、聖者の死への哀悼を超えている。この女はマリアにちがい、と思った。愛する息子を失った母親の哀しみが、痛いほどに伝わってくる。ジョットの絵には、人間の感情が豊かに流れている。その上で、人間を超えた存在への祈りが、力強く表現されている。

私はこのイタリアの旅で、多くのキリスト教絵画を観た。そして思ったものだ。キリスト教は明快だと。なぜなら、そのメッセージは、2つの像に集約されるからだ。つまり、幼いキリストを抱くマリアと、キリストの磔刑である。人間の罪を背負って死ぬキリスト、そして慈悲の象徴であるマリア。これ程強力なメタフアーが、他の宗教にあるだろうか。ジョットの絵が人の心を打つのは、このメッセージを、美しく、優しく、力強く伝えているからなのだ。

スクロヴェーニ礼拝堂を見学してから3日後、私はフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会を訪れた。フィレンツェ・ゴシックの典型といわれるこの教会は、ファサードが色大理石のモザイクで飾られ、外観も美しい。またその内部たるや、ピサーノ、リッピ、ギルランダイオ、マザッチョなど、有名な画家の絵で満たされている。しかしここでも、私が一番感銘を受けたのは、ジョットであった。身廊中央の天井から、彼の大きな『十字架像』が吊るされている。その、足許まで血が滴り落ちるキリストの磔刑図は、生々しさを超えて、柔らかな「救済」のメッセージを放っていた。この旅で、ジョットと巡り会えたことを感謝したい。

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

 身廊中央の天井から、ジョットの大きな『十字架像』が吊るされている

2011年12月30日 j.mosa