最初の映像は砂丘地帯を馬がゆく。馬上には黒い衣装の男、それと後ろに素っ裸の男の子。人を食ったような光景だ。やがて、とある村につく。村人はほとんど死んで、そこら中に死体がゴロゴロと転がっている。瀕死の男が一人いる、その男に向けて、くだんの裸の男の子が何のためらいもなく拳銃をぶっ放す。

万事がこの調子だ。映画の題名は『エル・トポ』。主人公の男はガンマンで、名うての名射撃手と果し合いをして拳銃の王者になるというのが一応の筋のようだ(ただし前半の)。とはいっても、筋などどうでもいい、というのがこの映画の売りだろう。個別のシーンをそのまま切り落として額縁に飾るにふさわしい場面ばかりが目白押しだから。

青い青い空、乾燥した砂丘、なぜかある小さな池、その中でパラソル片手の裸婦、ウサギの死体群、箱に両足を折り曲げて横たわる死体、両腕のない男と両足のない男… 今思い返しても、次から次へと映像がフィードバックする。とまれ、前半の最後は肉体的ハンディキャップを負った人々の一群が流れるシーンで終わる。

このハンディを負った人々(同一人物群ではない)が後半でも重要な役割を果たす。出だしは山の洞窟の中。そこは社会から隔離された、被差別者たち(ハンディを負った人々)の隠れ家だ。その被差別者のなかの若い女と、洞窟で瞑想する外来者の僧侶とが近くの町に出かけ、退廃した町でさまざまな珍場面に遭遇するのが後半の筋立てのようなものである。

ここでももちろん暴力が日常的に現れる、たとえば教会で、ロシアンルーレットのごとく、男の子が拳銃で自分の頭をぶち抜いたり、黒人奴隷が見世物娯楽のように馬に引かれて死んでいったりと。一方で、老齢の爛れたような娼婦群を筆頭とする退廃ぶりもすさまじい。

被差別者の若い女と僧侶は夫婦となり、洞窟から町へ抜ける穴を掘り始めるが、完成した穴から町へと殺到する被差別者の群れは町の住民に皆殺しになる。モグラのような彼らは陽の当たる世界では生きてゆけない。『エル・トポ』とは「モグラ」の意味だ。

この映画をトータルに論評することはむずかしい。とにかく、ある種の常識が破壊され、体のなかに眠っていた感覚が目覚めさせられる快感がある。暴力と退廃が通過した後に、未知の感覚に体を覆われているとでもいったらいいか。

むさしまる