目と目が合った、その老人と。ある宴会の席上でのこと、どの席が空いているか、立って眺め渡していたわたしの視界に、一番奥の席の老人の投げる眼差しが飛び込んできた。なにやら意味ありげな、いたずらっぽいといってもよさそうな、その眼差しを、解釈するにはこれしかなかった。「いっしょに一杯どうだい?」と。まるで小説に出てきそうな出会いの一コマだが、もちろんありのままのシーンである。のちのち我が家で「面白い顔の先生」と呼ばれることになる老先生との馴れ初めがこれだった。

話は今から6年前、代々木上原の某ホールで音楽会を聴いた折にさかのぼる。音楽界の目玉となる『耳なし芳一』の歌を、経帷子のようなおどろおどろしい衣装を身にまとって、グリグリまなこに風変わりな表情を浮かべ、物の怪の世界を見事に表現したのがこの老先生だったのだ。

思いもよらぬことに打ち上げの飲み会に赴く途中で、たまたま並んで歩くことになった。だが相手は80過ぎの大先生、ましてその歌に今しがた感激した凡人としてはそう馴れ馴れしく言葉をかけることもしかねる。といって無言もつらい。ということで、隣に歩いている中学生くらいの女の子にやたら話しかけたことを覚えている。

後に仄聞したところでは、この女子中学生こそ老先生の掌中の珠ともいうべき、愛(孫)娘だったらしい。そんな何気ない序奏に誘われて、冒頭に書いた目と目が合う必然へと流れたのかもしれない。二枚目の写真がこのときの演奏会での姿である(歌は『サッちゃん』だったと思う)。

有体に言って、わたしはあの瞬間の老先生の眼差しに、ものの見事にほれ込んだ。
今どきこんな目で語る人がいたのかと。しかも、「いっしょに酒を呑もう」ということは、「仲間だよ」といってくれているようなものではないか。これは、あながち我田引水的な解釈でもなかった。後日、奥様から「この年になってこんなお友達ができるなんて」と言ってもらえたから。

こうして仲良しになった。こうして家族ぐるみの付合いが始まった。花火を見上げた、天文台を見学した、甘納豆を食べた、レミーマルタンで乾杯した… 思い出は尽きない。そして昨年暮れ近く、築地の病院にお見舞いした。14階から車椅子に乗ってエレベーターでおりてきて、病院玄関口のガラス越しに、忘れもしないあのドングリまなこにうっすら涙を浮かべていた姿が最後のシーンになった。この夏に逝かれたのだ。置いてきぼりを食ったようで、寂しい。

けれども不思議なことに、この寂しさは通り一遍のものとだいぶ違う。仲良しの老先生のドングリまなこを思い出すたびに、寂しさの傍らに、何とも言いようのない暖かさを感じるのだ。イギリスの古い格言にある「人の死に涙するより、その人が存在したことに微笑みなさい」をなるほどと思わせてくれる暖かさが、老先生の思い出には付きまとう。

老先生の名は築地文夫という。その円熟期の雄姿が冒頭の写真で、『男はつらいよ』ファンの方にはハハーンあの人か、と合点も行くだろう。その雄姿に一献傾けつつ、独りごちようか、「面白い顔の先生、さよなら」。

むさしまる