梅雨らしい鬱陶しい日々がつづく。しかしこのモンスーンの降雨とそのあとの熱帯並みの高音多湿の夏が、この中緯度地帯の稲作を可能にし、わが国の何千年という文化をはぐくんできたのだ。梅雨の風土にも感謝しなくてはならない。
しかしわが家のまわりではちょっとした異変が起きたようだ。このあたりでは、二月の末から八月の上旬までウグイスが囀るが、ここ五・六年、この周辺をテリトリーとしてきたウグイスが死んだらしく、遠くで別のウグイスたちが鳴き交わすのを聴くほかはなくなった。早朝、枕元にひびくその妙なる囀りを聴きながら、夢うつつの境地を味わう贅沢が失われてしまった。
芸術三題噺
中国映画『那山、那人、那狗』(監督:霍建起、1999年)をテレビで見る。日本題名は『山の郵便配達』だが、これでは郵便配達の父と息子とならび、山つまり奥深い風景と、狗つまり犬が主人公であることがわからない。『かの山、かの人、かの犬』とでも訳すべきか。
それはともかく、まるで南画をそのまま色彩映画にしたような美しい山や谷のたたずまいと、それを縫って村から村へと終日郵便配達に歩きつづける年老いた父と、その業務を引き継ぐ息子、そして暖を取る薪をくわえて運ぶなど、彼らの忠実な助手である犬との、心あたたまる魂の交流にすっかり堪能した。
幻想的なトン族の夜の祭りや、その魅惑的な若い娘たちなど、いくつかの挿話が点描されるが、淡々と描かれるのは、中国の山村の伝統的なスロー・ライフ、つまり南画やタオイズム(道教)の思想の生活的実践にほかならない。大自然と一体となり、その四季折々のリズムをおのれのものとし、それによって精神を高め、智慧を深める、つまり「道(タオ)」を体得し、きわめることである。
この映画は、中国のあまりにも急激な近代化によって失われようとしているものへの愛惜の情にあふれているが、同時にそれは、真の伝統であるこの「道」をつねに意識せよ、という警鐘でもあるようだ。 ただ登場する犬が、わが家でも飼っていた由緒正しい(らしい)ドイツ・シェパードであるのが少々可笑しい。湖南省の貧しい山村にこんな犬がいるはずがないからである。恐らく、これだけの演技のできる犬がほかにいなかったからであろう。
仕事に少々疲れ、居間に降りてテレビのスイッチを入れたら、一陣の涼風のような津軽三味線の音がひびいてきて、ついつい番組の終わりまで見てしまった。異なった地域、異なった職業、異なった気質の数人の若者が、毎年五月に開かれる津軽三味線の全国コンクールにいどむ姿をとらえたドキュメンタリーであった(NHK総合「人間ドキュメント」6月16日)。とりわけ、まだ童顔の残る青年のすばらしいテクニークと、繊細きわまりない感受性がつくりだす、即興的で幻想的な音の世界にすっかり魅せられてしまった。
岩木山(津軽富士)の残雪に満開の桜が映える弘前城公園の市民会館で開催された2006年コンクールで、彼がみごと優勝(三年連続優勝であるという)したのは当然かもしれないが、この青年、浅野祥君の発言には深く感動した。言葉どうりではないかもしれないが、要するに「日本の伝統を知ってもらうため、海外で演奏したい。とりわけ紛争地の人々のまえで弾きたい。(肉親を失い、家を失い)悲しんでいる人たちが、ぼくの三味線で少しでも癒されたら本望です」というのである。
マスメディアや観念知識人たちの「人類愛」には反吐がでるが、彼の人類愛は本物だ。教育基本法改正案ではないが、真の郷土愛や伝統愛、ひいてはアイデンティティとしての「国」(国家ではない!)への愛のみが、ほんものの人類愛を育てるのだ。
友人の岩城宏之が死去した。昨年、大相撲九月場所の両国国技館の廊下で、岩城夫妻とばったり会ったのが最後となった。お互いに相撲好きとは知らなかったので、「おお、久しぶり」といいながら、意外なところで意外や意外、という顔をしたが、私のほうも同じであっただろう。
芸大在学時代から、外山雄三とともにN響の研修生となっていたが、日比谷公会堂でリヒアルト・シュトラウスの『祝典序曲』(いわゆる皇紀二千六百年〔1945年〕に寄せられた楽曲のひとつであったが、祝典に間に合わず上演されなかったと記憶している)の復活初演で、ステージの最後列に音程順に並べられた数十個の梵鐘を、楽曲のクライマックスで走りまわりながら必死で叩いていた二人の姿を、ありありと思いだす。
その後N響の指揮者として二人は正式にデビューしたが、そのデビュー・コンサートで、ベートーヴェンの『交響曲第五番』で聴かせた外山雄三の雄大な構成力、チャイコフスキーの『交響曲第六番悲愴』で表現された岩城宏之の細部にわたるみずみずしい感性に、心から感銘を受けた。
それ以来、二人の演奏会に注目し、楽屋を訪ねて感想や批評を述べりしたが、ときにはきびしい評言に耳障りと思われたこともあっただろう。岩城には、あの世で会ったら率直に詫びよう。
ただ岩城がモデルであったというのではまったくないが、西欧の古典音楽におけるオーケストラと指揮者のあり方が、ひとつの大きな曲がり角にきているのは事実だろう。フルトヴェングラーやワルターといった巨匠たちの時代には、彼らのカリスマ性とオーケストラ・メンバーたちの絶対的な信頼が、絶妙にして幸福なハーモニーを奏でていたが、CDをはじめメディアや商業主義が絶大な権力をふるういまは、状況がまったくちがう。カラヤンのような絶対権力をもつ指揮者と、その精密な将棋の駒であるオーケストラ・メンバーという関係は、いまや変革されなくてはならないのだ。



