寒桜のたぐいも散り、純白も鮮やかなコブシの花々も散り、山桜の類やソメイヨシノ、あるいはモモやレンギョウはまだ、と伊豆高原はちょっとした花の端境期である。わが家で唯一の花盛りはアセビ(馬酔木)で、常緑の葉叢を蔽って水泡のように白い無数の花房が溢れている。ただ、ウグイスをはじめ、小鳥たちの囀りが一段と華やかになった。
イラク開戦4周年
3月20日(アメリカでは19日)、イラク開戦の日から4年が経過した。メディアではさまざまな特集が組まれたが、とりわけテレビではほとんど取りあげられず、わが国の映像メディアが視聴率をあげるための娯楽に専心し、「一国平和主義」ならぬ「一国快楽主義」に徹していかに文化的鎖国状態にあるか、思い知ったしだいである。
そのなかではNHKのBS1が奮闘していたが、残念ながらドキュメンタリー番組はすべて外国のもので占められていた。NHKにかぎらず、わが国のニューズ・メディアのイラク取材が、せいぜいイラク人の助手が撮影したバグダッド市内の映像程度で、米軍の鉄壁に護られたグリーン・ゾーン内部での活動にすぎないことが、これもはからずも露呈してしまった。
それに比べ、BBCや海外の独立系映像メディアの取材では、記者やカメラ取材者自身がかなり危険な地域に入りこみ、彼らの目で現実を抉り取るその迫力が、われわれを捉えてやまない。
アメリカの占領政策は存在したのか?
それにしてもイラクの現実は、目を蔽うばかりである。開戦前のアメリカ上院の公聴会で、日系人としては最高の軍歴をもつ陸軍参謀総長シンセキ大将が、戦争そのものより占領後の治安維持が困難であるとして、最低20万の兵力が必要であると主張し、約10万程度の少数精鋭派遣で十分とした当時の国防長官ラムズフェルドに忌避され、退任に追い込まれたことはアメリカではひろく知られている。彼の主張はまさに正しかったのだ。
もし占領後20万以上の米軍その他で治安維持をはかり、その間にイラクの文化やイスラーム文明を正しく理解した占領政策で復興を行ったとしたら、結果は大きくちがったものになっていたであろう。
第二次世界大戦中、アメリカはたんに日本の情報収集だけではなく、戦闘そのものにも必要であり(日本軍の気質や戦術の傾向など)、また占領後の統治に不可欠であるとして、軍の日本研究センターをつくり、専門家たちを集めて研究し、また軍の要員を養成した。その副産物のひとつが、日本研究として有名な人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』、つまり西欧のキリスト教的な「罪の文化」と、日本の「恥の文化」を対比した本である。ライシャワーからヴォーゲルにいたる戦後の日本研究者の系列は、この軍のセンターから出発している。
ソヴェトなど同盟国の天皇制廃止などの強い要求を退け、それを温存しながらたくみに近代民主主義体制への変換をなしとげたGHQ(連合軍総司令部)の占領政策も、こうした研究に多くを負っている。日本の占領政策の成功には、こうした周到な準備と、惜しみなく注ぎこまれた予算という背景があった。
それに比べ、ブッシュ政権は開戦にあたり占領政策についてのなんの準備も行わず、またチェイニーやラムズフェルドといったネオコンズは、占領後アメリカ型近代民主主義をイラクに押しつければ、体制は自然にそのように整えられるという、まったく観念的な幻想をもってことにあたっていたようだ。さらに、伊豆高原日記【17】で取りあげたように、イラクをよく知る有能な人材を更迭し、たんに新保守主義に忠実であり、関連企業の利益を考えるだけの無能な人物を登用し、占領政策のいっそうの混乱を招いた。このブッシュ政権の無為無策が、3,500人の米軍戦死者、24,000人の戦傷者、子供を含む何十万人(一説では600,000人といわれている)のイラク民間人の死者、膨大な負傷者、2,000,000人といわれるイラク難民、さらには40兆円にも昇る戦費の浪費をもたらしたのだ。
地獄の沙汰の解決法
NHKBS1のいくつかの外国製ドキュメンタリーは、外部からの侵入者による自爆攻撃に加え、近年深刻化した各宗派の武装勢力による誘拐や、その後の拷問と虐殺のすさまじさを生々しく伝えている。シーア派サドル師分派の民兵でイラク最強の武装勢力といわれるマハディ軍は、バグダッドのサドル・シティなどの拠点を完全に支配し、逆に政府の治安部隊にまで入りこんでいるが、彼らはスンニー派のかつてのサダム政権有力者や支持者を拉致し、情報を引きだすために拷問し、挙句に殺す。報復としてスンニー派武装勢力は、シーア派の拠点の爆破を行い、有力者や知識人を襲撃したり、拉致して同じくすさまじい拷問を加え、殺戮する。
外国メディアは危険なため、主としてシーア派地域での取材しかできないが、そこに運ばれてくるシーア派民間人の遺体は、歯をすべて抜かれたり、手足を切断されたりと、拷問の恐るべき痕をとどめている(NHKの映像ではすべてモザイクがかけられているが)。遠くのビルディングから米軍の狙撃兵が撮影した映像では、政府の警察軍までもがスンニー派民間人の拷問に加わっているのがよくわかる。
もはやこれは内戦などというものでさえなく、地獄の沙汰である。
こうした状況で唯一の救いは、北部のクルド人支配地域である。米軍に協力してサダム・フセイン軍を敗退させた強力なクルド民兵が地域の治安を完全に保持し、外国の投資を呼びこんだ石油資源の再生や開発が積極的に行われ、民間の住宅建設やいわゆるインフラ整備も活発である。首都には百貨店まで出現し、消費生活も華やかになりつつある。
その鍵は治安にほかならない。自治区の境界は民兵によって厳重に警備され、四輪駆動車なら突破できそうな平原には、車輛が越えられない深い溝が掘られている。
こうしたモデルをみると、イラク問題の解決法は、もはやクルド地域、スンニー派地域、シーア派地域という独立国に準じた完全な三分割の連邦制に移行するしかないようにみえる。各派の民兵に域内の治安をゆだね、政府軍の役割はこれら境界や隣国との国境の厳重な警備に限定する。各派地域内の少数派は、多数派地域に移り、その補償は外国の援助にもとづいて連邦政府が行う。いうまでもなく国家としての石油収入は、この三自治政府に完全に平等に分配しなくてはならない。とにかく、治安さえ回復すれば、頼まなくても外国からの巨額の投資が流入し、石油大国イラクの復興は可能となるのだ。米軍をはじめ各国軍は、この体制が整いはじめたとき完全撤退すればよい。
こうしたシナリオをどこか権威ある機関が提唱しないだろうか。全米各地で繰りひろげられたイラク反戦デモの映像を、ABCやCNNニューズで眺めながら(どういうわけか、日本のニューズ・メディアでは大きくは取りあげられなかった)、そんな感慨にふけった。
(3月21日)



