朝夕はめっきり涼しくなった。樹間を吹き抜ける風が肌に快い。夜は仲秋の名月(旧八月十五日、今年は暦のうえでは9月25日)が近く、下弦の月が中天に懸かり、虫の音が耳に快い。今年もコオロギやカネタタキが家のどこかで鳴き、夜の瞑想に誘う。

バイオエタノールについて 

ガソリンやディーゼル油に代わり、二酸化炭素排出減少の切り札としてバイオエタノールが喧伝されている。だがはたしてそれは切り札なのか、そしてそれによる食料価格の高騰が、世界の貧困層から食料を奪うことにならないのか。

 『ナショナル・ジオグラフィック』誌は環境問題に力を入れているが、07年10月号でバイオエタノールの特集をしている(Growing Fuel;The Wrong Way,The Right Way)。それによると、食料を原料とするバイオエタノール生産は「悪い道」であり、けっして切り札とはなりえないという。

たとえば合衆国では、ブッシュ政権がトウモロコシによるバイオエタノール生産に力を入れているが、専門家の試算によると、トウノロコシの生産(農薬・化学肥料・大型耕作機械の燃料など)や運搬、あるいはエタノール生産(蒸留に高熱が必要である)や運搬に要する石油エネルギーと二酸化炭素排出量は、生産されたエタノールによる排出量削減や省エネルギー量を上回り、まったくの「無駄仕事boondoggle」である。それによる他の作物の生産減少と食料価格の高騰は、アメリカ経済に負荷をあたえつつある。

他方ブラジルでは古くからサトウキビによるエタノール生産が盛んであり、国内の自動車エンジンもエタノール用に改造されている。またサトウキビによるエタノールはトウモロコシ原料によるものより純度も高く、エキスを絞った廃棄物を蒸留用燃料にするなど、生産効率が高い。しかしサトウキビ畑の拡大のために次々に広大な熱帯雨林が伐採され、また単作のための土壌の荒廃や流出でヘクタールあたりの収量の大幅な減少など、国土の荒廃化がはじまっている。熱帯雨林喪失による二酸化炭素の吸収量減少と、このバイオエタノールによる排出量の減少を単純比較しても損失は大きい。

いずれにせよ食料によるバイオエタノール生産は、世界の環境を悪化させ、貧困層から食料を奪い、経済に負荷をあたえるまったくの愚策、つまり「悪い道」にほかならない。だがそれに代わる「善い道」がある。

それはバイオマスなど生物廃棄物を原料にするエタノール生産と、近年の微生物科学の驚くべき展開によって発見された新しい微生物原料による生産である。

わが国では一部堆肥に使用されるほか大量に廃棄される稲藁や麦藁などの農業廃棄物、あるいは落葉などセルローズを含むすべての生物廃棄物が原料になりうるが、問題はそれを収集するコストであるだろう。だがあとで述べるように農村を「生物循環コミュニティ」として再編すれば、この問題の解決は不可能ではない。

また荒地や沼地で急速に成長するある種の雑草類も、計画的に栽培すればゆたかな原料になる。また最近の微生物科学の応用として、とりわけ成長力の強い藻類が原料として有力になりつつある。しかもそれらは発酵も早く、蒸留されたエタノールも上質である。生産に要するエネルギー(インプット)と、生産されたこれらのエタノールのエネルギー(アウトプット)は、なんと1対36という驚くべき数字になるという。二酸化炭素ガス排出削減量は、ガソリンに比べ、トウモロコシ原料エタノールが22パーセントであるのに対して、藻類に限らずセルローズ原料エタノールの削減量は、92パーセントに及ぶ。

すでにアメリカでは一部の大学や研究機関が、微生物科学の応用によるエタノール生産の先端的研究部門や施設を創りつつある。麹や納豆など古代から微生物科学の応用にすぐれていたわが国が、これに遅れをとってはならない。地球環境のためにも、一刻も早く政府が開発のイニシアティヴをとるべきであろう。

生物循環コミュニティとしての農村

 グローバリズムによる資源と市場の苛烈な争奪戦争を終わらせなくてはならない。だがそれに代わる経済体制は、まだだれも提示できないでいる。

おそらくその中核となるのは、環境技術とそれによる産業の転換であり、先端的な基礎研究や応用研究、あるいはそれによる技術開発をになう知と教育の体系であろう。またそれをいわば実験として導入する種々のパイロット・プロジェクトによって、産業構造全体の転換のための突破口を穿っていくべきである。たとえばわが国の農業を考えてみよう。

現在進められている「規制緩和」は、大企業などの農業参入を許し、経営規模を拡大して農業の生産効率を高めようとするものである。だがこの方向による「近代化」では、合衆国、カナダ、オーストラリアなどの広大な集約農業に、いつまでも追いつくことはできない。むしろそれらの国では、大型機械やヘリコプターなどで化学肥料や農薬を撒き散らし、トウモロコシや小麦などの単作をつづける農業は、土壌の流出や粘土化など土地の荒廃、収穫量の必然的な減少をもたらし、遺伝子組替え作物の導入などによってようやく維持されているにすぎない。かつての「グリーン・レヴォリューション(緑の革命)」の挫折同様、ここにも未来はない。

むしろわが国の地理学的特性(里山などの地形)を生かし、小規模輪作など地域の風土に対応した生態的で伝統的農業を、高度技術で再生し、地域を「生物循環コミュニティ」として再編していくことこそ望ましい。大型農業機械(エタノール・エンジン)は共有とし、都市の生物廃棄物や、家畜なども含む地元の農業廃棄物を堆肥化する共有の堆肥プラントを造って輪作的有機農法を促進し(堆肥プラントは家庭用のメタン・ガスをつくりだす)、また上記のバイオマスや雑草や藻類によるエタノール・プラントを建設し(廃棄物は堆肥原料になる)、燃料の自給を計る(余剰エタノールは売ればよい)。また村落の電気をはじめとするエネルギーは、太陽光発電・風力発電・バイオマス発電(エタノール生産の副産物でもある)・渓流のあるところではコンピュータ制御による小規模水力発電など、完全な自給も可能である。

こうしたパイロット・プロジェクトに名乗りを挙げる自治体に、自立できるまでの初期投資と技術指導をおこなう公団を設置するとよい。道路公団をはじめとする高度成長期の特殊法人を完全に廃止すれば、こうした先進技術やプロジェクトを担う公団の設置は可能である。

最新の微生物科学などが明らかにした大自然の驚くべきダイナミックな共生(シンバイオシス)のメカニズムを、いかに人間社会のシステムとして組みこんでいくか、それが脱近代文明構築の鍵となる。