雨上がりの冷たい朝、まだ空を蔽う灰色の雲を背景に、庭の樹々や繁みに小鳥たちが舞う。コガラやヤマガラ、シジュウカラやゴジュウカラなどのガラ類だけではなく、メジロやホオジロ、あるいはキビタキなど多種の鳥が入り交じる。かつてはかまびすしいほど鳴き交わしたホオジロも、すっかり姿を消していたが、少しは復活してくれるのだろうか。ヴェトナム戦争の末期、その声は「撤兵いつ(何時)、撤兵いつ、ニクソンさん」と聞こえたが、この春はおそらく「撤兵いつ、撤兵いつ、ブッシュさん」となるだろう。

妙なる小川のざわめきと鳥たちの歌

書斎でふとFMのスイッチを入れたら、ベートーヴェンの「田園交響曲」の第2楽章「小川のほとりの光景」の、絶妙な楽器のたわむれがひびいていた。弦楽器とホルンの奥深くゆったりとした流れを背景にした、第1ヴァイオリンの高音のトリルにからむクラリネットとファゴットの旋律である。一瞬恍惚とするような美しさと間合いのよさであった。これを聴きのがしてはいけないと、カミさんにも教え、ふたたび書斎にもどった。

とにかく奥行きのある、色彩ゆたかな音の流れなのだ。ふつう主声部のみが強調され、鳴りひびくが、ここでは主旋律と対旋律とがみごとに絡まりあい、そのあいだにも副声部が見え隠れし、ポリフォニックな音のうねりが、8分の12拍子というひろびろとした時空を満たしていく。フルートとオーボエとクラリネットが紡ぎだす例のウグイス、ウズラ、カッコウの囀りも、あまりの間合いのよさで身震いするほどだった。

凡庸な演奏で聴く「田園交響曲」ほど退屈で長々しいものはない。だがこれは終楽章にいたるまで、飽きないだけではなく、強く惹きつけられた。フィリップ・ジョルダン指揮、マーラー室内管絃楽団というアナウンスで、その名をはじめて耳にしたが、ベートーヴェンの管弦楽曲にひそむ繊細にして緻密な音づくりを、これほどみごとに再現した演奏は珍しい。フル・オーケストラでのブルーノ・ワルター指揮で、ベートーヴェンのこうした側面を浮き彫りにした名演をCDで聴いたことはあるが(とりわけ「交響曲第3番エロイカ」と「交響曲第8番」)、それはもう過去のことと思っていた。良き伝統が受け継がれることは、とにかくうれしい(1月10日)。

諸悪の根源としての近代国家とナショナリズム 

 NHKBS1で、アルベール・カーンの映像コレクションにもとづくイギリスのドキュメンタリー番組「奇跡の映像」シリーズが放映された。フランスの平和主義者で富豪のカーンが、第1次大戦の恐ろしい実像や世界の国々の文化を後世に残さなくてはならないと、巨費を投じて撮影させた当時の色彩写真やモノクローム・フィルムのコレクションを、さまざまな分野の学者やジャーナリスト、あるいは写真家などのコメントをつけ、編集したものである。

すぐれた構図とあいまって、現在の色彩写真よりはるかに絵画的で劇的なおもむきのある第1次大戦の最前線の映像や、町々のすさまじい破壊の跡も、きわめて説得的であったが、シリーズ7(1月11日)の第1次大戦後の中近東の変貌を伝える映像には、深く考えさせられた。

ドイツ側について参戦したがために、没落し、解体させられた旧オスマン帝国は、バルカン半島から中近東一帯を蔽う大帝国であったが、その支配下では、イスラーム教徒やキリスト教徒(カトリック、ギリシア正教、スラヴ正教、マロン派など)、あるいはユダヤ教徒などが平和に共存し、ゆたかさを分け合っていた。ところがその没落によってバルカン半島や中東は、将来の独立を餌にイギリスとフランスの植民地としてさまざまに分割され、またイギリスはアラブ人のパレスティナに、ユダヤ国家の建設を約束するにいたった。そこから悲劇がはじまる。

「列強」の植民地となることを回避してトルコは、ムスタファ・ケマルのもとで強引な近代化をすすめ、ギリシアと戦端をひらき、大量のギリシア人を虐殺し、東ではアルメニア人やクルド人の排除や殺戮を行う。つまり近年のボスニア内戦で悪名高くなった「民族浄化(エスニック・クレンジング)」を、いちはやく開始したのだ。スミルナをはじめエーゲ海の町々は灰燼に帰する。バルカン半島や中東では、分割された諸種族が分離独立を求め、近代国家建設をめざすナショナリズムが燃えひろがり、葛藤と混乱が拡大する。

パレスティナをめぐるイスラエル対アラブの度重なる戦争といまもつづく血腥い対立、旧ユーゴスラヴィア解体後の戦禍、アフガンとイラクの戦乱、何百万という死者を出し、なおも出口のない(バルカンではコソヴォ紛争がつづいている)これらの紛争は、すでに第1次大戦後の「列強」の飽くなき植民地主義に端を発していた。

そもそも西欧の植民地主義そのものが、近代国家の成立とそのナショナリズムと不可分であり、富を追求する西欧近代国家の「国益」なるものが植民地主義を招いたのだ。さらに第2次大戦後、植民地から独立した国々を襲った悲劇、つまりインドとパキスタンの分離時の血みどろの抗争から、ルワンダやコンゴなどの部族対立による戦乱と大量虐殺(むしろ近代国家成立以前は諸部族は平和に共存していた)にいたるすべての悲劇は、西欧から受け継いだこの近代国家とナショナリズムという「国」の誤った自己主張に由来する。

いうまでもなくここで国というのは、そこに生活にかかわる帰属意識をもったひとびとの集まりであり、種族や文化や宗教の違いにまったくかかわりはない。その統合の過程が武力によるものか否かを問わず、一旦成立した国は、平和と安定によって富をみずから生みだし、蓄積し、分配していく。旧オスマン帝国はそうした昔の栄光ある国の最後の姿であったのだ。

われわれはいまや、近代国家とそのナショナリズムが諸悪の根源であることを認識しなくてはならない(経済的グローバリズムはその楯の別の側面である)。