夕景色がきわめて美しい季節となった。ほとんど葉を落したわが家の雑木の枝々が、朱鷺色に染まった空に、レース細工に似た繊細な影を刻み、まだ葉を残した遠くの樹々の、残照に輝く葉叢の赤黄色と鮮やかな対照をつくりだす。急速に日が沈みはじめると、蒼く霞む島影に街の灯火がつらなってまたたき、灯台の閃光が走り、海には烏賊釣り船の漁り火が、あちらこちらに灯る。
戦後民主主義の終焉
加藤周一氏が亡くなった。かなり昔からの知り合いであったし、8年前に死去したあるチェンバロ奏者が主宰していたサロンの常連客として、たびたび顔をあわせたり、さりげない会話を交わしたりした。小田実氏もすでに亡くなり、これも60年代末から70年代のヴェトナム反戦デモなどでたびたび会い、当時、お互いにそれぞれの思想や言説を微妙に意識していた間柄であった。また私にとって師ともいうべき丸山真男が亡くなってすでに久しい。
知識人のレベルではあるが、戦後民主主義の終焉に立ち会っている、という感慨が深い。
もちろんすでにたびたび述べてきたように、戦後民主主義には歴史的役割があった。明治近代化の負の遺産である軍国主義や皇国史観を徹底的に批判し、二度と戦前の体制に戻らないために、わが国に言論の自由や個人の人権、近代民主主義を根付かせ、欧米流の「市民社会」を実現することであった。第九条を含む「日本国憲法」や前「教育基本法」の基本理念はこれに基づいている。
1960年の安保闘争はその頂点であり、それによる岸内閣の退陣とともに戦前型ナショナリズムを信奉する政治勢力は退潮し、経済的高度成長は戦後民主主義を実質的にわが国の国家理念にまで高めるにいたった。たしかに米ソ冷戦は、ソヴェト型社会主義を目指す左翼勢力を台頭させ、それは保守勢力と対峙するだけではなく、原爆反対運動の分裂に象徴されるように、戦後民主主義勢力の内部に亀裂をもたらしたが、やがてそれも高度成長のいわゆるパイの分け前に異義を申し立てるだけの勢力と化していった。
ベルリンの壁崩壊後の世界は、70年代後半から台頭した政治的新保守主義と経済的新自由主義イデオロギーの支配にともない、ITをはじめとするテクノロジーの飛躍的展開とともに、超大国アメリカの主導するグローバリズムに席巻されるにいたった。だが今年、金融危機に端を発するグローバルな経済危機は、われわれの面前でグローバリズムが音を立てて崩壊するという劇的な場面を演じはじめている。
だが戦後民主主義、あるいは合衆国の戦後リベラリズムは、新保守主義や新自由主義、あるいはそれらがもたらしたグローバリズムそのものへの根底的な批判を提示することができなかったし、ましていま、グローバリズム崩壊後の世界像を示すこともできないでいる。それはなぜか。
一時、新保守主義者(ネオコンズ)を代表する知識人であったフランシス・フクヤマは、自由と民主主義および自由市場というグローバル・スタンダードがやがて世界を制覇し、その結果世界から個別の歴史は失われ、『歴史の終焉』がもたらされると主張した。イラク戦争がその主張の政治的帰結であったことはいうまでもない。だがこのグローバリズムによってもたらされたのは、むしろ『文明の衝突』であった(私はサミュエル・ハンティントンの主張には反対だが、合理主義の強制は非合理主義をもたらし、力の行使はつねにこうした結果を生む)。
つまり、これもたびたび述べたように、政治的・経済的グローバリズムは合理主義のもっともラディカルな形態であり、超近代主義(ハイパーモダニズム)にほかならない。近代合理主義のいわば穏健派ともいうべき戦後民主主義や戦後リベラリズムが、それを根底から批判できないのは当然である。
私が師である丸山真男を批判したのは、その「歴史意識の古層」が典型であるように、近代の歴史意識とその知的・思想的概念体系によって『古事記』を切り捨て、それが明治ナショナリズムの源泉となっているというまったく誤った論理を展開したからである。つまり彼は皇国史観と同じ土俵でイデオロギー闘争を行っているにすぎない(拙著『感性としての日本思想』2002年藤原書店、および『古事記の宇宙論』2004年平凡社新書を参照していただきたい)。
丸山も『日本の思想』(「図書」岩波新書特集によれば、アンケートに答えた知識人のあいだでもっとも評価の高い本だという)で加藤の『雑種文化』を高く評価しているが、これも戦後民主主義者のなかに誤った先入観をひろめた岩波新書のひとつといっていい。
つまり加藤によれば、西欧の文化は純粋種であり、日本の文化は雑種だという。もっとも彼は日本では、この文化の雑種性にいわば居直るべきだとはいっているが、そもそも西欧文化こそが雑種中の雑種であることにまったく無知な言説であるというほかはない。すなわち西欧は、ケルトやゲルマンなど多様な種族の混交から出発し、ローマ文化やギリシア化されたキリスト教、さらにはアラブやトルコまたペルシア文化やイスラームなどの巨大な影響のもとに、日本以上の雑種文化として成長してきたのだ。
戦後民主主義の功罪のうちもっとも大きな罪は、西欧文化とその合理主義の崇拝、そしてその裏腹として自国の文化を貶め、真の伝統とその背後にある感性的ではあるが精密な思想や世界観を排除した点にある。それは明治以後の保守的な政治勢力やナショナリストたちが、急激な近代化によって歪められた「伝統」を称揚し、軍国主義や皇国史観の土壌を養ってきたことのたんなる裏返しにすぎない。
ポスト・グローバリズムの世界像を提起するためにも、われわれは戦後民主主義を克服し、世界の自然の多様性とともに文化の多様性を回復し(この二つの多様性は不可分の関係にある)、自然との、そして異文化との共生にもとづく統合的な思考を創造しなくてはならない。それはおのずから、精神と身体、主観性と客観性などの二元論によって世界や宇宙をいわば分裂させてきた近代の基底的思考を、創造的に乗り越えることである。自然科学の最先端では、すでにこうした認識論の革命的な転換がはじまっている(拙著『近代科学の終焉』1998年藤原書店を参照していただきたい)。



