今年は気候が乱調のせいか、ウグイスの初鳴きがひどく遅れ、もう梅も緋寒桜も散ってしまった今朝(3月7日)、ようやく聴くことができた。だが、ほのぼのとした美しい朝にそのさえずりを聴くとき、このうえない安らかな気分になる。

夜、久しぶりでモーツァルトを弾いていると、鍵盤のうえを中くらいのイエグモが左手からゆっくりと歩いてきた。脚をはさむと危ないので手を止め、「おまえモーツァルトが好きなのか」と声をかけると、しばらく立ち止まって耳を傾け、またゆっくりと歩きはじめ、右手の奥へと消えていった。啓蟄が過ぎたことを実感する。

オルガ・スペシヴツェヴァ 

 かなりのバレエ・ファンでも、この名を知るひとは少ない。バレエに、人間の内面性のもっとも奥深い表現を与えた伝説のバレリーナである。 

 戦後のわが国に大きな影響を与えたのは。ボリショイ劇場をはじめとするソヴェトのバレエであった。きびしい訓練から生まれるバレリーナやダンサーたちの完璧な身体的技術と技巧、音楽のどのような繊細な変化にも一糸乱れないコール・ドゥ・バレエのみごとなアンサンブル、全体の息を呑むほどの形式美、これこそ古典バレエのモデルというべき舞台に、イデオロギーの左右を問わず、万雷の拍手が送られたものである。 

 だがその後の私にとって、ときに欧米のバレエ団の絢爛とした公演などをTVで見ることがあっても、しだいに劇場から足が遠のき、古典バレエを見る気がしなくなってしまったのも、どうやらこの「形式美」に原因があったように思われる。感嘆しこそすれ、心に響くものはなにもなかったからである。 

 しかし、ニューヨーク・タイムズの書評紙に載っていた一枚の写真は私を釘付けにした。おそらく白鳥と思われる古典的衣裳を着けて静かに進むオルガ・スペシヴツェヴァ(Olga Spessivtseva)である。そのたたずまいといい、物思う目を伏せた表情といい、身体全体から発散する高貴にして深い情緒は、これから展開するにちがいない、この世を超えた世界の物語を暗示していた。「このひとを見よ、これがバレエなのだ」と。 

 それは、19世紀末から20世紀前半にかけてサンクト・ペテルブルグで活躍したバレエ批評家アキム・ヴォリンスキーの論文集のはじめての英訳本を、かつてニューヨーク・シティ・バレエ団のバレリーナであったトーニ・ベントリーが書評する紙面であった(Jan.25,09)。書評文自体もきわめて魅惑的であったが、そこでヴォリンスキーの女神ともいうべきスペシヴツェヴァの悲劇的な生涯を知り、その写真がひときわ感動的に映じたのだ。 

 1924年、レーニンの死による「革命的自由」の時代の終焉とともに、29歳の彼女はアメリカに事実上亡命する。だが祖国を離れた不慣れな生活と、やがてはじまった大恐慌と戦争の影のもと、彼女は重度の神経障害を煩い、二〇年の長きにわたり精神病棟に暮らすこととなる。その後、ニューヨーク州のトルストイ財団の老人施設で孤独に暮らし、1991年、96歳で生涯を閉じ、かつて彼女が表現しようとしたこの世を超えた世界へと去っていった。その姿を、きわめて少数のバレエ愛好家の心の奥深くに刻みつけて……

アメリカン・リベラルズの変貌 

 バラク・オバマの大統領就任を機に、ネオ・コンズやネオ・リベラルズの攻撃に防戦一方であったリベラルズが復活したようだ。巷にはリベラル派知識人やジャーナリストの本が溢れている。 

 ただそこがアメリカの面白いところだが、彼らは古い戦後リベラリズムの衣裳を脱ぎ捨て、新しい衣服を身にまといはじめている。リベラルズの呼称を嫌い、「進歩派(プログレッシヴズ)」を名乗るものも多い。 

 彼らの主張は多様だが、共通する基底は、経済に限らずすべての領域での「トリクル・ダウン(trickle-down)」方式から「ボトム・アップ(bottom-up)」方式への転換といえるだろう。つまり新自由主義経済が典型であるが、大企業や大金融機関を潤せば、その水は低所得層にまでしたたり落ちる(トリクル・ダウン)。あるいは教育では、高度の白人エリートを養成し、国家の中核とすれば、社会的繁栄の恩恵は庶民にまでいたる、というものである。 

 だがトリクル・ダウン方式のこの数十年の実績は、中産階級を大幅に没落させ、巨万の富を独占するごく少数の上流階級と膨大な貧困層を生みだすことであった。教育では、辛うじて「アファーマティヴ・アクション」制度(人種的少数派優遇策)が均衡を支え、マイノリティ・エリートを補給しつづけてきた。 

 たとえ社会主義と誹謗されようとも、プログレッシヴズはその方式を覆し、税制・社会保障制度・教育・労働条件などの改善、あるいはグリーン・ニューディールによる新しいテクノロジーやそのための雇用創出、などによって富の再分配を計り、社会的公正や平等を実現しようというのだ。 

 典型的なトリクル・ダウン方式であったわが国の「小泉改革」は、いまや同じ自民党の麻生内閣でさえも批判や修正の標的となりつつあるが(いうまでもなく選挙の票獲得のために)、それに代わる大規模なボトム・アップ方式はまったく示されてはいない。野党も同様である。民主党左派や社民党といった戦後民主主義者たちも、戦後民主主義の時代遅れの衣裳を脱ぎ捨てるどころか、それに執着しつづけているようにみえる。 

 そこに起こった西松建設事件である。かつてのリクルート事件では、当時の藤波官房長官をスケープ・ゴートにして巧みに逃れた小沢一郎氏も、今回は観念しなくてはならないようだ。この未曾有(ミゾユウではない)の危機にあたって、目の醒めるような主張を繰りひろげる政治家も言論人も不在であるのは、われわれにとって悲劇である。