つづく花冷えで、ソメイヨシノは五分咲きのまま、様子見といった風情である。むしろ例年は遅いヤマザクラが開花し、五分咲きとなってソメイヨシノに追いついている。芝生も青みがかってきたが、いつも撒く米のとぎ汁から飛び散る米粒を、ホオジロがつつきにくる。少し花を咲かせかけたツツジのあいだをシジュウカラが飛び渡り、芽ぐむコナラの枝にゴジュウカラ(頭の黒いシジュウカラに似ていなくもないが、頭が白いのでこの名がある)が姿をみせ、小さな長い尾を振りたてる。
無印秀品
メディアの造りだすブランド力は、一般の商品に限らない。音楽界でも、格段にすぐれたとも思えない外来演奏家が、「天才的女流ピアニスト」などと喧伝され、何万円もする入場券が飛ぶように売れ、大コンサートホールが満員となる異状な光景が繰りひろげられる。
わが国の女性ピアニストも同じだ。国外のコンクールに入賞したというだけで一躍脚光を浴び、メディアの主役となるが、それほどの差があるとは思えない「無印良品」の演奏家たちが質の良いコンサートを開催しても、メディアからはほとんど無視される。
無印といえば、いつかFMで聴いたリーリヤ・ズィルベルステインの演奏に感銘を受け、CDを探したが、いくつかの店を渡り歩いてようやく彼女のリスト・アルバムをひとつだけ手に入れた。いまでもときどきリストを聴きたくなると、これをかける。
彼女などはスケールの大きな「無印秀品」ともいうべきひとだが、もうひとりの「無印秀品」を発見した。NHKFMで3月30日に放送されたアンナ・マリコヴァである。
前半のショパンのマズルカや「ソナタ第三番」も、とかく感傷的に表現されがちなこれらの曲を、雄大な骨格と細部の繊細さをあわせもつ演奏様式で感嘆させたが、後半のワルツ特集ともいうべきプログラム――シューベルト=リスト「ウィーンの夜会」、ラヴェル「優雅にして感傷的なワルツ」、プロコフィエフ「『戦争と平和』よりのワルツ」とつづく――では、自在で奔放な演奏で聴衆を沸かせた。とりわけ最後のグノー=リストの「『ファウスト』からのワルツ」によるパラフレーズ(敷衍曲)は圧巻であった。
パラフレーズとは、有名なオペラの一場面など人口に膾炙した旋律を、変奏曲ではなく、即興的な幻想曲風に展開するリスト独特の楽曲様式で、ほとんど無数といってよいほどあるが、「リゴレット・パラフレーズ」やこの曲などが代表とされる。とにかくグノーのあのいささか妖しげな雰囲気のワルツが、ピアノの超絶技巧によって幻想と昂奮の極致にまで高められ、聴衆を圧倒する。マリコヴァの演奏は、あたかもリストが乗り移ったかのような神技で、おとなしい聴衆をも「ブラーヴォー!」と絶叫させるにいたった。
だが、だが、である。ブラーヴォーの声は数多いのだが、その声と拍手が、この壮大な演奏に比してあまりにも貧弱なのだ。最初の紹介を聞き逃したので知らなかったが、なんと会場は、あの数百人の津田ホールだという。大コンサートホールで聴きたかったのは、私だけではなかっただろう。
だがこれが、ブランド信仰のわが国の音楽界の現状なのだ。
再説:ガン大国日本
ガン対策基本法の制定以来、メディアにガンについての記事が目立つようになった。だがその多くは、わが国がなぜ世界に冠たるガン大国になったかという根本原因には触れず、浅薄な主張を繰りひろげているだけである。なかには、ガンも食生活の欧米化や運動不足などといった「生活習慣病」の一種であるとか、ガンを秘密にしたがる社会通念が初期治療の妨げとなっているがゆえに、そうした無知を打破する「ガン哲学」が必要であるなど、まったく見当はずれの議論で、失笑するというよりは憤慨してしまう。
第一原因は、70年代から80年代にかけて、耕地面積当りアメリカの十倍という驚くべき農薬散布を展開してきた「世界に冠たる農薬大国日本」にあり、またその残留農薬や流通のための保存剤など添加物による食品汚染によって、われわれの健康を保っている消化器内の微生物が殺戮され、ガンを促進することなど、すでに「伊豆高原日記51」で指摘してきた。ここで再説はしないが、現状の改革のための提言はしておこう。
その第1は、原因の除去、つまり少なくとも減農薬農法、できれば有機農法への農業の転換、化学薬品による食品添加物の禁止(それによらない保存技術などはすでに多くある)などである(肺ガンについてはタバコの害の周知、また自動車・工場などの排ガスのきびしい規制)。
第2は、情報公開である。現行の化学療法・放射線治療・手術などによるガン治療の治癒率をはじめ、それらによらない代替医療の種類や方法とその治癒率、代替医療を扱う医療機関、またその医療費(保健が効かないため)など、ガン治療に関するすべての情報を集め、公開すべきである。
第3は、代替医療、東洋医学(漢方・鍼灸・指圧・気功など)の公認と近代医学への取り入れ、およびこれら全体の総合的体系化である。またこれらの医療の保健化が望ましいことはいうまでもない。
「ガン哲学」を説くなら、ガン発生の根底的原因は、経済合理性を至上とする近代文明そのものにあることを認識しなくてはならない。



