枯葉を落しはじめた木々と、まだ青々とした雑木類のあいだに海が輝いてみえる季節となった。まだ緑の芝生の片隅に、サフランの花がいくつか、淡い紫の花びらを陽射しに向けている。ヴィラ・マーヤの庭をあちらこちら彩っていたツワブキの黄色い花の塊も、もう終りに近い。
レヴィ=ストロースとはなんであったか
クロード・レヴィ=ストロースが百歳で死去した。1960年代の末、わが国ではじめて彼の思想とその「構造主義」を紹介したものとして、いささかの感慨はある。
彼の業績の最大のものは、なんといっても1962年に出版された『野生の思考』(原題のLa pensee sauvageには「野性の三色スミレ」と「野蛮な思考」の二つの意味が含まれていて、発売された頃は園芸書の棚に並べられたといわれている)である。いまとなってみれば、私の知っているホピやナバホの記述にすでに数カ所の間違いがみられるように、細部に誤りが多いが、レヴィ=ブリュール以来幼稚で野蛮であるとみられていた「未開」の思考が、驚くべき超合理的な体系をもっていることを明らかにした点で画期的であった。
ただそれが近代の抽象的な科学的思考と異なるのは、つねに具体的な事物のレベルで体系化されていることである。彼はそれを「具体的なものの科学」と呼んでいるが、その命名は正しい。だがそれを、近代の抽象的な科学的思考と対立するものと考えた点で彼は誤っている。「具体的なものの科学」はまず第一にナチュラル・ヒストリーとよばれる自然科学そのものであり、「科学的思考」なのだ。近代と異なるのは、この「野生の」科学的思考は、薬草学や精密な暦などそれ自体として応用されるだけではなく、自然や宇宙の諸事物を、鷲や蛇などいわゆるトーテム的・神話的記号に置き換えて考える「神話的思考」と矛盾なく重ね合わせられていることである。
またその後の大著「神話論理学四部作」(『生のものと料理されたもの』『灰から蜜へ』『食卓作法の起原』『裸の人間』)は、南北アメリカ・インディアンの約1000の神話の構造分析を行い、それらが相互に関係するゆるやかな「変換群」をなしていることを明らかにした。私もそれにならって『古事記』『日本書紀』各『風土記』からの神話数百を構造分析し、それが同様に「変換群」を形成していることを確認した(『天と海からの使信』1981年)。
こうした彼の60年代から80年代にかけての業績は、高く評価されるべきであろう。だがそこにさえ問題があるのは、「構造主義」の提唱者と見られているにもかかわらず、「構造」概念が明確ではないからである。
構造とはなにか
1960年代後半を席巻した「構造主義」は、ほとんど思想革命といってよいものであったが、その意味は50年経った今日でもいまだに理解されているとはいいがたい。
それは二つの点で、近代思想の立脚点をくつがえすものであった。第一は、デカルト以来の主観・客観の二元論の否定である。言語記号であれトーテム記号であれ、具体的な記号は、物質的または「客観的」な部分としての“意味するもの”(言語であれば発音されるもの)と概念的または「主観的」な“意味されたもの”(たとえばイヌという発話に対応する概念や意味)は不可分であり、切り離して考えることはできない。記号は人間にとって宇宙・万物の表現であるから、世界すべてはこの両者の一元性のうえに成り立つ。ただし身体と精神など、すべては一元性のなかの対立項であって、私はそれを「記号の対称性(シンメトリー)」と名づける。
第二は、上記と不可分に、人間の文化だけではなく世界あるいは宇宙は、具体的なもの(または物質的なもの)と抽象的なもの(または思考的なもの)とを不可分に結びつける「構造」によって成立しているということである。
レヴィ=ストロースのつまずきも、この構造概念の不徹底さにある。
もっとも正確な構造概念は数学、とりわけ抽象数学にある。具体的なものの集まりは「集合」であるが、それら個々の諸要素がなんらかの相互関係で緊密に結ばれるとき、そこに「構造」が生じる。その関係(法則)のあり方によってたんなる「集合」は、群や環などといった諸種の構造を示すにいたる。
レヴィ=ストロースの「野生の思考」、ジャーク・ラカンの精神分析における「無意識の構造」(無意識を非合理的なものと考えたフロイドの主張をくつがえした)、チョムスキーの言語学における言語能力という先天的構造など、60年代にいわば同時多発した各学問分野における「構造革命」(数学でははるかに先行していたが)は、いわゆる先進諸国で、近代文明にはじめて疑いの目をむけた60年代末の学生運動や「文化革命」と呼応するいわば60年代の時代精神Zeitgeistであったのだ。
構造主義余波
だが70年代以後のポスト構造主義や記号論(セミオティックス)や記号学(セミオロジー)は、構造主義の真の遺産を継承することなく、マスメディアで踊る思想的流行で終った。その原因はいうまでもなく、それらが上記のような構造概念をまったくもたなかった点にある。ミシェル・フーコーについてのジャン・ピアジェの厳しい批評のように、それらは「構造なき構造主義」にほかならない。
むしろ構造主義の遺産は、人類学や考古学などに継承されていった。かつては経験論や実証主義一辺倒であったアングロサクソンで、むしろいまや構造主義が主流である。また80年代「新考古学」を自称していたプロセッシュアル・アーケオロジーは、その名のとおり、ゴミにいたる遺跡から出土するあらゆるものを電子計算機で分析し、遺跡の生態学的様態を明らかにしてきた。その業績を認めたうえで、それを批判する構造考古学なるものが出現した。それは生態学的データその他すべての物質的資料は、かつての住民たちの思考体系をモデルとして想定し、両者を不可分なものとして対応させ、分析すべきだというものである。
この意味で、脱近代科学の烽火をあげた「60年代構造主義」を再評価しなくてはならないし、幾多の欠陥はあるとしても、レヴィ=ストロースの先駆的業績も再評価されるべきであろう。



