今年の秋は雨が多く、また寒暖の差もはげしい。植物たちも戸惑っているとみえ、まだ青い樹は青々とし、芝生も緑なのに、枯葉をすっかり落した木々やら真紅のハゼなど、奇妙なとりあわせである。吹き寄せられた落ち葉が、緑の苔の浅い谷間に溜まっている。

マキムク遺跡とヒミコ 

 奈良盆地の纏向(巻向)に、3世紀頃の大規模な遺跡が発掘されたというので、考古学界やメディアは大きな騒ぎとなっている。つまりそれはヒミコの時代の遺跡であり、邪馬台国の位置をめぐる九州か大和かという長年の論争に決着がつきそうだというのである。 

 私自身はこの論争にほとんど興味をもたなかった。なぜなら『魏志倭人伝』の記述が全面的に正しいとは思わないし、神話を分析していると、むしろこうした論争自体がこっけいに思われてくるからである。なぜなら、神話や伝説は史実を部分的に取り込んではいるが、それを超えて種族の思考体系をみごとに具体的に啓示していて、逆に歴史を再考する手がかりにさえなっているからである。 

 事実、11月16日のNHK「クローズアップ現代」でこの問題が取り上げられていたが、そこに登場した専門家の発言に、思わず耳を疑ってしまった。つまりマキムク遺跡以後の大規模遺跡では、宮殿などは中国の影響で南北を軸に建てられているが、マキムクの祭祀場や宮殿などと思われる遺構は東西を軸としていて、それがなにを意味するか不明だというのだ。 

 いうまでもなく中国では、暗黒の天の北極が天帝の玉座であり、宇宙の中心であるとされ、北がもっとも聖なる方角とされていた。わが国でもその影響で、「天子」の宮殿は北に位置して南面している。ただヤシロでは東南または北西に面するものが多いが、東南は太陽の冬至点であり、神々や祖先の霊のいます「常世(とこよ)」であるとともに、その守護神である雷神の坐すの方角とされた。北西はそのいわば逆数として、冬の気象の「荒らぶる女神」(風神)の坐す方角である(厳島神社が典型である)。 

 東西が軸であるというのは、中国の影響以前では、冬至から夏至にいたる太陽の運行の中心点が軸であることであり、神々の中でもっとも尊崇されていた太陽の女神アマテラスの歩みを軸にしていたということである。 

 そもそもヒミコとは、『魏志倭人伝』の当て字「卑弥呼」で書かれるが、太陽の子を意味する「日御子」であるし、それはむしろ特定の女王の名ではなく、のちにスメラミコトとよばれるようになった天皇の古代名称といえるだろう。また邪馬台国という語の魏の発音がどのようなものであったかつまびらかにしないが、ヤマトの誤伝か、逆にヤマタイがのちに音韻転訛でヤマトになったことも考えられる。 

 私は古代の人名や固有名詞は必ずカタカナで表記するが、それは漢字の当て字にまどわされることが多いからである。一般名詞でさえも本来そうである。たとえば古語で天をアメというが、天から降る恵みだからアメ(雨)という。例をあげればきりがない。 

 いずれにせよ、考古学的事実や歴史的事実の「解釈」は、狭い専門性を抜けでて、神話や伝説が語っている種族の自然環境や生活という「意味するもの」と、それのうえに構築された思考体系という「意味されたもの」とが結びついている「構造」を認識することで、はじめて可能となり、真実となることを知らなくてはならない。