秋色が濃くなってきた。楓も色づき、ハゼの真紅などが、斑に黄ばんだ森をあざやかに彩っている。しばらく夕暮れが美しい季節である。
青木やよひについて
フォーラムの代表者のひとり青木やよひが死亡したので、平凡社を通じ、次のような訃報を各新聞社・通信社などに配信した。掲載されたものの多くは簡略化されているので、ご参考までに:
青木やよひ 二十五日大腸がんのため死去。
八十二歳(一九二七年静岡県生まれ)。
故人の遺志により葬儀は行わない。
エコロジカル・フェミニズム理論とその視点からするベートーヴェン研究で有名。一九八〇年代の性差やジェンダーをめぐる青木・上野論争はフェミニズム思想史に残る事件であった。また一九五七年に発表したベートーヴェンの不滅の恋人がアントニア・ブレンターノであるとする新説は、いまでは世界的な定説となっている。
「フェミニズムとエコロジー」などフェミニズム関係の著書、「ホピ 精霊たちの台地」などの民族誌、「ゲーテとベートーヴェン」などベートーヴェン研究の著書など多数あるが、とりわけ「ベートーヴェン“不滅の恋人”の探求」のドイツ語訳はドイツ語圏で高く評価されている。訳書にメイナード・ソロモン編「ベートーヴェンの日記」などがある。遺著の「ベートーヴェンの生涯」は近く発行予定。
また執筆の傍ら津田塾大学・立教大学などの講師を勤め、論文「マルサスの影と現代文明」で一九七五年毎日新聞社日本研究賞を受賞する。夫北沢方邦と知と文明のフォーラムを主宰する。
私的感想
青木やよひは五十五年にわたるつれあいだが、フォーラムの共同創設者であるので、私的感想を書かないというこの日記の原則を破ることをお許しいただきたい。
■11月19日
青木やよひにいよいよ別れを告げなくてはならないときがやってきたようだ。覚悟は決めていたからいまさらなにもいうべきことばはないが…… 身体が若いのが仇となり、癌の進行が極めて早い。細胞が老化していないと、新陳代謝がよく、正常細胞も増殖するが、癌細胞も増殖するからだ。いま肺への転移が危機的状況にある。在宅では急な呼吸困難の発作に対応できないからと、佐藤主治医のすすめで急遽入院する。
■11月21日
病棟の端にあるよい個室に移り、状況もやや改善される。外科医の秀村晃生さんがはるばる見舞いにみえる。指圧師の田中亮二さんもみえる。沖縄の倉橋玲子さんから贈られた花が、病室を飾り、心和ませる。
■11月24日
まだ意識がしっかりしているうちにという主治医の配慮で、外泊帰宅。仕事終了後乱雑になっていた書斎を、私が整理し、綺麗になっていたのを見たいというので、背負って案内する。満足したようだ。ただやせ細っているのに、腎臓や腹膜などの水腫のせいで重く、苦労する。昼、いつもの朝食と同じものを食べたいというので用意し、介助して五分目ぐらい食べる。夜はなにも取らず、寝たいというので、しばらく話をする。
十日ほどまえ、枯れた枝々越しに美しい満天の星空の夢を見、「われらの上なる星辰、われらの内なる道徳律、カント!!!」というベートーヴェンと同じ境地を味わい、また宇宙との一体感を味わった。以前から死を恐れてはいなかったが、これですっかり満ち足りた平穏な気分となり、いつ死んでもいいと思ったという。また、これまで幸せな生涯だったし、それも、またこれだけ仕事ができ、残せたこともおまえさんのお蔭だ、とも述べた。少々照れたが、私としてもこれ以上の幸せはない。睡眠薬を飲ませて寝る。
よく寝ていたようだ。しかし未明に背中に痛みが起こり、要求されたので痛み止めの坐薬を使い、やがて痛みは薄れたが、朝目が醒めてから意識も呼吸もやや乱れる。9時頃点滴とワクチン注射のためやってきた訪問看護師が、血圧が異常に低く、血中酸素濃度が低下しているので危険だというので、救急車を呼び病院に戻る。病室で酸素吸入を受け、ふたたび状態がよくなったので、午後3時頃、私は一旦家に帰ることにする。明日またくるからと告げると、何時ごろ?と聴き返し、それが私の聴いた最後のことばとなった。夜、食事を済ませて片付けていると病院から電話がかかり、大至急きてくださいとのこと。駈けつけたが、すでに事切れていた。こうなるならずっと側にいたのに、とそれが唯一の心残りである。死亡証明書の時刻は9時11分。
佐藤芳樹主治医と話し合う。私が「佐藤先生と出会えなかったら、今度の本は書き終えられなかった」という彼女の言葉を伝えると、先生は、健康なひとでも本を書くというのは大変な苦労なのに、これだけのご病人がなしとげられるとは、とにかく尋常ではない意志の力のあるひとで、感嘆します」といわれた。たしかに、昨年五月の手術前にかなりの時間をかけて準備をし、一部書きはじめていたが、実際の執筆は手術後約2ヶ月後からである。
そんなにハードに仕事すると、あとで大変だからと、書斎に篭っている彼女によく話し掛け、仕事を止めさせたたものである。『ベートーヴェンの生涯』の執筆が彼女の命を縮めたかもしれないが、これを完成しなかったら、死んでも死にきれなかっただろう。
とにかくパートナーのいう言葉ではないかもしれないが、私も彼女を尊敬する。
なお、彼女の死後発見したのだが、寝室のメモ用紙のあいだに書きとめてあった句と歌を紹介する。ただ紙に大きく斜線が引かれているのは、公開されたくないという意向かもしれないが:
病みて知る ベートーヴェンの 深き淵
なにゆえの病苦ならんと天に問う、生きがたき夏の夜のしじまに



