もう一週間もまえだが、1月29日つまり旧十二月十四日の月が、大晦日に劣らずみごとであった。翌十五日はあいにく曇りで、その数日後はこちらでは雨、東京では雪となった。朝ブラインドを開けて大室山をみると薄っすらと雪化粧である。

なぜこんなことを書くかというと、旧十二月十四日こそ、赤穂義士の吉良邸討ち入りの記念日だからである。グレゴリオ暦の1月末から2月始に、江戸つまり東京の大雪の気象条件が揃うが、グレゴリオ暦の12月14日ではそんなことはありえない。そのうえ討ち入りがなぜ十四日かというと、月明かりがほしかったからである。討ち入り時刻が遅れたのも、雲が切れるのを待っていたにちがいない。もし雲が切れなかったら、討ち入りは翌日の満月に延期されただろう。

一面の雪景色が晧晧たる月に照らされ、室内で使用する龕灯(がんどう=強盗提灯ともいう携帯用照明具)以外にいっさい照明はいらなかったはずだ。キリスト教の都合にあわせたグレゴリオ暦しか使用しない近代の日本では、こうした常識すら失われている。伝統文化や行事の理解には、想像力が必要とされる。嘆かわしい。

古事記の読みなおし 

5月2日に東京の墨田トリフォニー・ホールの大ホールで、『古事記』にちなむコンサートが催される。新実徳英さんの企画で、彼の作品も演奏されるが、私に対談形式でよいから『古事記』について20分ほど話してくれという依頼がだいぶ前にあった。コンサートも近いので話の要旨をほしいとのこと、以下のメモを送ることにした:

1) 神話の読み方:神話は古代人や「未開」人の宇宙論であり、現代の精密な物理学的宇宙論とまったく無縁ではない。彼らは「科学的思考」と「神話的思考」を共有していた。科学的思考は自然史であり、天体の運行から気象、あるいは生物の分類や効用にいたるまでを包括している。他方神話的思考は、それら諸現象の背後にある諸法則を、神々やそれにかかわる劇といったメタファーとして認識する思考である。

2) 古事記の読みなおし:従来の日本の神話学や古代史学は、文献の解読を主とし、せいぜい考古学を参照する程度で、こうした視点がまったく欠けていた。学界でさえ「日本人は星に関心がなかった」などという無知蒙昧な議論が最近までまかり通っていた。農耕であれ狩猟採集であれ、あるいは遊牧であれ、天体の運行は暦の作製に不可欠であり、暦は生業や生活に不可欠である。すべての神話はまず、天地の創造やその分離(イザナキ、イザナミの離婚)からはじめるが、中心となるのは太陽や月や星々など天体である。太陽女神(アマテラス)、月男神(ツクヨミ)、水の大神(スサノヲ)の「三貴子」の誕生、さらにアマテラスとスサノヲの対立から生まれるスバル5男神(プレアデス)とカラスキ3女神(オリオン3星)という冬至の星の創造が、壮大な日本神話の劇の出発点である。

3) 稲作文化と神話:冬至の星の創造がなぜ出発点かというと、冬至(旧11月・霜月)は太陽の死と再生であり、旧太陽暦の開始だからである。縄文末期からわが国は稲作を基本文化としてきた(経済と文化を混同する網野善彦説の誤り)が、栽培の難しいこの熱帯植物には細心の配慮と適正な陽光と水が必要であり、神々にそれを祈るニヒノアヘの儀礼と神楽が冬至にかかわり、最重要となる。アマテラスの岩屋戸篭りはこの儀礼の起源をあらわす。実際の農耕は春からで、夏至(旧5月・皐月)の頃の田植えがもうひとつの最重要な儀礼サナヘとなる。「天孫降臨」とは、アマテラスの天の稲穂を地上に降下させる神話であり、稲作がいかに神聖なものであるかを物語る。また夏至の星の西洋でいうサソリ座(中国では龍、インディオでは大蛇)つまりヲロチがこの時期を支配するが、それが雷神の象徴であり、その荒御魂が洪水を引き起こすヤマタノヲロチである。これを鎮めるのがまたサナヘの儀礼であり、夏神楽である。

4) 気象の神々:洪水を引き起こす雷神(サルタヒコ、オホモノヌシなど多くの名をもつ)は、神風(台風)を含め、夏の気象の支配者であるが、冬の気象の支配者は風神つまりスサノヲの娘である3女神である。夏、東南の海上(この方角は太陽の冬至点)に昇るヲロチの星座に対して、冬の強風は北西から吹くが、南中するカラスキ(オリオン)3星の切っ先(彼女らはスサノヲの剣から生まれた)は北西を指す。彼女らを祭るヤシロはすべて北西角に配置される。この二つの気象の神の儀礼が、季節の交替を告げる桜狩りと紅葉狩りである。稲作にとって重要なのは、太陽の光熱とゆたかな水、そして適正な気象である。

5) 結論:つまり日本神話は、日本の国土に固有の宇宙と自然の諸現象を精密に認識し、それを壮大な劇的メタファーとして展開したものである。

以上の詳細については拙著『古事記の宇宙論』(平凡社新書)や『日本神話のコスモロジー』(平凡社、残念ながら絶版、古書か図書館でどうぞ)、『歳時記のコスモロジー』(平凡社)を参照していただきたい。