ウグイスがあいかわらず盛んに鳴き交わしている。季節外れの低温でウツギの花、つまり卯の花はまだだが、いまやホトトギスの季節である。今年は珍しい鳥の囀りが聴かれる。すばらしい音量と美声で、4・5分鳴きつづけてもやまない。囀る方向に双眼鏡をむけても、樹々の葉叢にかくれて姿はみえない。図鑑で調べるが、クロツグミではないかと推察される。ご存知の方がいたらお教えいただきたいものである。

KY首相 

 鳩山政権が末期症状である。事業仕分以外ほとんどみるべき成果もなく、普天間問題、つまり安全保障問題をはじめ、迷走に次ぐ迷走でみずからの首を締めあげ、参議院選挙の前か、惨敗後か、とにかく小沢幹事長を道連れに総辞職のほかに手がなくなっている。 

 こうならざるをえなくなった原因は二つある。ひとつは政治家(ステーツマン)としての鳩山首相の資質であり、もうひとつはグローバリズム崩壊後のわが国をどう創りなおしていくかというヴィジョンやそのための長期政策の不在である。 

 日記【63】で書いたように、鳩山氏にほとんど期待はしていなかったが、これほどひどいとは思わなかった。総選挙直前の遠慮があり、そこには書かなかったが、鳩山氏を囲む会合が終わり、部屋にもどってきて放った青木やよひの第1声が耳に残っている。「あのひとって、どこか致命的なところが不感症ね!」。

 つまり私流にいいなおせば、人間の心のわからないひとということである。数年前KY、つまり「空気が読めない」ということばが流行し、前首相は「漢字が読めないKY」だといわれたが、現首相は「心が読めない」、くわえて国際的「空気が読めない」KYである。 

 わが国の安全保障問題をもう一度深く考える契機を与えてくれたという功績はあるかもしれないが、普天間基地を「国外、最低でも県外移設」と公言し、辺野古移設をなかば諦めかけていた沖縄県民に希望をあたえ、心をゆさぶった挙句に辺野古回帰とは、数万のひとびとの「怒」のプラカードで会場が埋め尽くされても当然である。問題はここまでこじれた以上、辺野古着工はきわめて困難であり、普天間現状維持がかなり長期間つづくことになる点である。政権が代わったとしてもその困難に変わりはない。鳩山氏は次期政権にとてつもない課題をあたえてしまった。

長期ヴィジョンと政策 

グローバリズム崩壊後の世界で、わが国をどのような方向に導くべきか、というヴィジョンや長期政策は、民主党に限らずどの政党ももっていない。「支持政党なし」が世論で第1党となっているのはここに根本原因があるが、むしろこうしたヴィジョンがなくてどうやって政治をしていくつもりですか?と全政治家に問いたいほどである。 

 グローバリズム崩壊は一つの契機、あるいは象徴にすぎない。とにかく近代文明を支えてきた資源やエネルギーの無限の消費に基づく経済体系や経済合理主義、それによって生み出された肥大化する「幸福追求」の権利と欲望をこのまま放置するかぎり、地球環境の変動による人類の滅亡はそれほど遠い未来ではない。とにかくシステムを根本的に変えなくてはならないのだ。 

 そのための方策のひとつは、すでにたびたび言及してきたように「環境立国」である。大量生産・大量流通・大量消費の機構を改めるために、農林漁業の再建や自然エネルギーの徹底的開発、および自然そのものの回復を柱とし、そのための産業や技術革新への大規模投資を図ること、それが第2次・第3次産業のシステム的変革をうながすような回路を創出していくことなどである。もしわが国が世界的な環境先進国となれば、その技術革新や製品が、あたらしい輸出産業の中核となるだろう。 

 もうひとつは、芸術や教育を含む「知と文化の立国」である。これについてはいずれ詳しく書きたいと思っているが、労働条件や労働環境の徹底的な改善を図り、宮沢賢治のいうように労働をなにものかを創りだす喜びのひとつの源泉とするとともに、余暇を人間の生きる充実した時間とし、それを知や文化にかかわる産業の場として育成していくことである。 

 経済をはじめとする激烈な競争社会を離脱し、平和で安定し、生活が保障されるうるおいとゆとりのある社会をだれもが潜在的に希求しているが、近代文明のもとでは実現不可能と諦めている。だがむしろグローバリズム崩壊のいまこそ、そうした社会への転換や変革が可能なのだ。国際競争からの離脱は日本の衰亡をもたらすなどという言説は、まさにグローバリズムの亡霊にすぎない。われわれはまず、いわゆるおんぶお化けのようにわれわれ自身にまつわりついているこの亡霊を振り棄てなくてはならない。なにごとにもよらず、一切の先入観を振り棄てたとき、見えてくるものがあるのだ。