満開の早咲きの白梅に隣りあう遅咲きの紅梅がほころびはじめ、メジロたちを引き寄せている。裏の小道ででかさこそと音がする。人が歩いているかと窓から覗くと、ツグミが落ち葉を掻きあげながら、隠れている虫をついばんでいる。昨日分譲地内の道路をウォーキングしていると、舞い降りていたセキレイが私を先導するかのように、道路上を先へ先へと低く飛んでは降り、ときどき首をかしげてこちらをうかがっていた。
先日は三原山の頂上が白く冠雪していたが、今朝は雲間からあちらこちら差し込む陽光を背景に小雪が舞い、光を受けてきらめく不思議な光景が展開した。
リアリティとは何か?
机上に溜まっていた本を読みはじめたが、マンジット・クマールの『量子;アインシュタイン、ボーアおよびリアリティの本性についての偉大な論争』(Kumar,Manjit.QUANTUM; Einstein,Bohr,and the Great Debate about the Nature of Reality,2010)が、20世紀の大物理学者たちの交流や論争を、さまざまな挿話を交えて紹介し、読み物としても面白く、一気に読了してしまった。
「リアリティとはなにか?」 これについては私自身、詩でも表現を試みたが、いつか理論として展開したいと考えていたため、この本に大きな刺激を受けた。しかもこれは物理学上の論争を主題としながらも、それが哲学や世界観、あるいは最終的には文明の問題に深くかかわっていることを明らかにしている点で、きわめてすぐれている。
以下は、この本に触発された私の「覚書」として、アインシュタインVSボーア論争の深層にひそむ問題を書き記しておきたい。
アインシュタインと量子力学
量子とは微視的世界を飛び交うエネルギーの束(パケット)であり、われわれはそれを確率の波、つまり波動関数(Ψ)としてしか認識できない。その世界はまさにアリスの「不思議の国」であって、われわれが日常経験する古典力学の法則は一切通用しない。たとえばわれわれの世界では、かならず原因があって結果が生じるが、この世界ではこうした「古典的因果律」は成立せず、ときには結果が原因に先立ちさえする。
量子を構成するのは素粒子とよばれるものであるが、それがいかなるエネルギー準位をもち、どのような状態にあるか、観測するまではまったく未知であり、決定できない。観測によってはじめてそれらが決定されるが、それはいいかえれば波動関数が「崩壊」し、「不思議の国」が、観測者の属する「不思議でない国」つまり古典力学の世界に還元されてしまうことを意味する。
これはおそるべき矛盾である。これをどう解釈するか。ニールス・ボーアをはじめとするコペンハーゲン学派は、確率の波に支配される微視的世界と決定論的な巨視的世界の完全な二元論によって正当化する。だが世界を精神と身体または主観と客観に分割するデカルトの二元論と同じく、両者をなにが媒介するかという深刻な問題が提起される。コペンハーゲン二元論に反対するシュレーディンガーは、この矛盾を有名な《シュレーディンガーの猫》というジョークで表現した。放射性原子が崩壊し、ガイガー・カウンターが鳴ったらハンマーが青酸カリのカプセルを割るという装置の箱に閉じ込められた猫は、観測者が箱の蓋を開けるまで、その生死は決定できない。放射性原子が崩壊するかどうかの確率は2分の1であるから、蓋を開けるまで猫は、「同時に生き、かつ死んでいる」という《重ね合わせ》の状態にあるというのだ。
量子という用語をそもそも使いはじめたのはアインシュタイン(量子としての光)であり、彼はまたボーアの業績を高く評価していたのだが、この二元論には我慢できなかった。「神はサイコロを投じない」という彼の有名なことばは、量子の世界が確率の世界であることを否定するというよりは、観測者が介入しない微視的世界の認識は基本的に不可能であるというボーアの不可知論に対するいら立ちであると考えるべきであろう。アインシュタインは、微視的世界はたしかに古典力学を超えた世界ではあるが、かならず確率論的ではない法則に支配されていると信じ、それを裏づける「統一場の理論」を追求した。
この二人の論文や手紙を通じた「偉大なる論争」は、ほんとうに息を飲む。
アインシュタインの哲学
この二人の論争は、だが物理学上の論争にはとどまらない。そこには哲学あるいは世界観の深刻な亀裂がある。
「量子世界などはない。あるのは抽象的な量子力学の記述だけである」というボーアの言明は、まさにデカルト的二元論の主観主義の局地であるといえよう。哲学でいえばそれは、ヴィットゲンシュタインが「語りうるものは明晰に語れ、残余は沈黙のみ」といって、広大な「残余」の世界を問題とせず、合理的に記述されるもののみがリアリティであるとした論理実証主義そのものにほかならない。
徹底した平和主義者で非暴力主義者であり、プリンストンの自宅の書斎にガーンディの肖像を掲げていたアインシュタインの哲学は、「東洋的」といってもいっこうさしつかえない。彼はある新聞のインタヴューで「神を信じていますか?」と問われ、「スピノーザの神なら信じています」と答えたが、世界あるいは宇宙を《実体(スブスタンシア)》の一元論でとらえていたスピノーザの哲学は、ヒンドゥーや仏教あるいは道教の哲学と同じ思考体系であり、アインシュタインの哲学はまさにスピノーザ主義であるといえる。
だが20世紀の後半「標準理論」の完成とともに、物理学界ではボーアのコペンハーゲン解釈が絶対的な権威となり、宗教的ドグマとさえなり(クマールの評言)、ノーベル物理学賞は今日にいたるまで「標準理論」の信奉者にしかあたえられなくなる。「統一場の理論」の追求は時代遅れとされ、アインシュタインはたんに相対性理論の提唱者としてのみ名が残る歴史の遺物とされてしまった。
多重世界解釈の登場
だが思いもかけない大逆転が起こる。多重世界解釈あるいは平行宇宙理論の登場である。
1957年、プリンストン大学の大学院生であったヒュー・エヴェレットⅢ世は、微視的世界の《異常》こそが、われわれの世界をも貫く普遍的法則であり、量子力学の記述はたんなる数学的約束ではなく、世界を支配する法則にほかならない、とする学位論文を提出した。つまり量子力学の記述の道具である無限次元のヒルベルト空間は、宇宙そのもののリアリティであり、古典的因果律の不在も宇宙のリアリティを律する法則である。われわれの世界が一見決定論的であるのは、無数に存在する多重世界あるいは平行宇宙が、この目に見える世界に直交している結果にほかならない、というのだ。
この「奇想天外な」論文は、メディアを賑わわせはしたが、「標準理論」信奉者が圧倒的多数を占める物理学界からは完全に黙殺された。エヴェレットは失望して物理学界を去り、国防総省に職をえたが、多重世界解釈の復活を知ることなく、失意のうちに若くして死ぬ(どの分野でも先駆者は孤独である)。
だがシュレーディンガーの猫という絶対的な矛盾を抱えた「標準理論」は、出口のない袋小路に陥り、それに代わって1980年代から、物質の最小単位は素粒子ではなく、はるかに微小なレベルのストリング(弦)であるとするストリング理論が登場し、驚くべきことにそれは、従来の電磁力・(原子核の)弱い力・強い力の3つだけではなく、重力をも統合的に記述できるものであることが明らかとなった。重力、すなわち微視的世界におけるアインシュタインの復権であり、さらにストリングの存在を許す多重世界解釈の復権である。アインシュタインの統一場の理論は、ここに逆説的ではあるが微視的世界の《非合理性》から組み立てられることとなったのだ。
クマールによれば、1999年ケンブリッジ大学で行われた量子物理学学会で、「コペンハーゲン解釈(標準理論)」「多重世界解釈」「留保」の3つを選択する投票が行われたが、投票した90名のうち、コペンハーゲン解釈にはわずか4票、多重世界解釈には30票、「留保」に50票が投じられたという。2011年であれば多重世界解釈にはさらに票が増えたことであろう。
多重世界解釈は、多重世界あるいは平行宇宙という「隠された、あるいは目にみえない世界」をも含めて世界のリアリティとするものであり、デカルト的二元論およびコペンハーゲン二元論という近代の世界観を超える脱近代の世界観にほかならない。まだ探求の途上ではあるが、いまや多数派となりつつある多重世界解釈またはストリング理論の行方が注目される。



