庭のいくつかの水仙の群落が花盛りである。数本を切って花瓶に挿しておいたが、野生の花のあまりにも強烈な香りが室内に充満し、酔いそうなほどだ。早咲きの梅はすっかり散ってしまったが、ウグイスの初鳴きはまだである。
中東「近代化」の欺瞞
リビア情勢が緊迫している。東部は反カダフィ派の民衆と一部の軍が制圧し、西部ではカダフィに忠実な治安部隊や軍によるデモ隊の殺戮がはじまっている。おそらくすでに内戦状態であろう。
エジプトは新しい国造りの段階に入ったが、今回の「民衆革命」は大きな教訓を与えてくれた。つまり中東という異文明の「近代化」とはなんであるのか、そして「自由」と「民主主義」を求めたエジプトの民衆にとって、それらの概念は何を意味しているのか、である。
王制を打倒したナセル(ナスル)は社会主義的近代化を目標とし、ムバラクは資本主義的・新自由主義的近代化をはかったが、いずれも挫折したといわなくてはならない。どのような近代化であれ、一般民衆にとってそれは、上から強制された「変革」、つまり伝統的な生活様式の放棄を迫られることであり、法と秩序の名のもとの近代諸制度による管理を押し付けられることであった。さらにムバラク時代、この諸制度には汚職と腐敗が蔓延し、選挙制度は欺瞞そのものと化し、治安警察による隠れた支配が一般化した。
エジプトだけではない。かつてのわが国も含め、異文化・異文明の国々に形式的に導入された「近代化」は、つねにこうした恐るべき歪みをもたらす。わが国の明治近代化は帝国主義的国家目標と戦略によって破滅はしたが、法と秩序に関しては一定の成果(それを評価するわけではまったくない)を収めたのは、徳川時代のすぐれた武家官僚制度が遺産として存在していたからである。だが、いまなお部族や氏族への帰属意識が強く、しかも長い植民地支配による徹底的な抑圧を受けてきたアラブ諸国では、事情が異なる。
こうしたゆがめられた「近代化」に対抗して民衆は「自由」や「民主主義」求め、闘ったのだが、それは欧米流の概念とは大きく異なるものだといえよう。
イスラームにとっての自由と民主主義
西欧的自由や民主主義は、基本的に個我の権利や自己主張であり、法や社会はそれらの衝突の調停者として存在するといっても過言ではない。だがイスラームという価値体系を共有するひとびとは、それを尊重する異宗教のひとびとに寛容であるだけではなく、相互に寛容である。利害の衝突は、部族間や氏族間の直接的な話し合いでシャリーア(法)にもとづいて解決してきた。
こうしたひとびとにとっては、話し合いによってもたらされるイジマー(合意)こそが民主主義の根幹である(ルソーにとってモデルはアメリカ・インディアンであったが、多数決の民主主義に対して、それを一般意志の民主主義と呼んだ)。
自由も同じであろう。彼らにとって自由とは、自己と他者との差異化でも、権利の相互主張でもなく、身体や感性を含めた自己の存在の保障である。いいかえれば自己の生活とそのあり方、そこで考え、なにかを生みだすことの保障といえよう。
だがこれこそが人間本来の全体的な自由ではないだろうか。今回タハリール(解放)広場を埋め尽くす大群衆のなかで、あちこちで伝統楽器ウードを片手に、多くの若者たちがムバラク体制の風刺や民衆蜂起の喜びを、これも伝統的な詩型に乗せて歌い、まわりの聴衆の喝さいを浴びていたが、その躍動的なリズムそのものが、彼らの目指す「自由」を象徴しているように思われた。



