梅雨明けしたかのような青空がつづく。窓から吹き込む微風が涼しく、どこからともなく野生のジャスミンの花のえもいわれぬ芳香を運んでくれる。おそらく裏の森の樹の緑の枝にからみつき、白く咲いているのだろう。芳香の行方を定めてみたが、みつからない。

昨日から明日へと貫く音楽 

6月28日オペラ・シティ・コンサート・ホールで行われたNHK交響楽団のMusic Tomorrow 2011で、本年度の尾高賞受賞作品、西村朗の『蘇莫者(そまくしゃ)』が、演奏というよりも上演された(指揮パブロ・エラス・カサド、天王寺楽所[がくそ]舞人)。

2009年の作品で、大阪で初演されたものであるが、初演時と同じく、フル・オーケストラが取り囲む舞台中央に、青毛氈を敷き詰め、金の擬宝珠に朱塗りの欄干を四方に配した本格的な舞舞台をしつらえ、そこで黒褐色の異形の面に金襴の打ち掛けの蘇莫者の舞人を中心に、蔵面(ぞうめん)をつけた蘇利古(そりこ)など二人の舞人を添え、これも本格的な舞をともなうものである。

日本雅楽(舞楽)の『蘇莫者』は、山の奥深い川瀬で聖徳太子(役[えん]の行者という説もある)が笛を吹いていると、信貴山の神が現れ出で、舞を舞ったという伝説にもとづいているが、それは太子の怨霊そのものであるという説もある。いずれにせよ、聖霊会(しょうりょうえ)で上演される重要な儀礼舞であり、太子の怨霊であれ信貴山の神であれ、神の荒御魂を鎮め、豊穣と平安を祈るものである。

西村の音楽は、荒ぶる神の宇宙的な荒ぶる息吹と、その御魂鎮めという奥深い主題を、彼独特の重層的なヘテロフォニー技法で徹底的に表現し、聴くものを圧倒する。オーケストラのみの「前奏曲」、舞人の入場から舞に至る「乱声(らんじょう)」・「音取(ねとり)」・「序」・「破」と「後奏曲」からなるが、クライマックスの「破」の冒頭で雅楽『蘇莫者』の笛の主旋律がフル-トで吹きならされる(四天王寺の聖霊会では、舞台に昇った楽人が聖徳太子遺愛の笛と伝えられる笛でこれを奏でる)だけで、あとは雅楽の模倣や変奏のたぐいはいっさいない。

だが不思議なことに、基本的なテンポとリズムはあくまでも『蘇莫者』の滔々とした流れであり、大太鼓や打楽器群が独特の間合いで、ずっしりと身体にひびく大地の音を打つ。舞も、いうまでもなく西村の音に合わせた創作であるが、伝承された基本的パターンはいっこうに崩れない。50分もの演目であるが、時間はあっというまに過ぎ去り、千年もまえの「昨日」の伝承が、「明日」へと大きく羽ばたくさまが見えてくる。

そのうえ東日本大震災とフクシマ原発大事故の現在である。2009年に書かれたにもかかわらず、この幽暗にして雄大な鎮魂曲は、今日あるを予期して書かれたものとしか思われない。これこそまさに「知と文明の転換のための」音楽版といえよう。