西日本には被害をおよぼしたが、こちらには低気圧並みの雨と若干の風をもたらしただけで、台風6号は海上に去った。満開のヤマユリも一本も折れることなく咲き誇り、風に揺れている。室内に挿した一枝のお蔭で、家中にあでやかな芳香が漂う。
多様性、多様性!
生物の多様性が地球を救い、したがって人類を救い、文化の多様性が世界を救う、とたびたび述べてきたが、現在の危機的状況を救うのも技術や農業の多様性である、といっても過言ではない。
たとえばエネルギーである。太陽光や風力にのみ焦点があたっているが(それらもさらに効率化が必要だが)、その土地土地の条件にあわせた自然再生エネルギーは、もっと多様であるだろう。海があれば波浪・潮流、里山であれば小型水力、農村であれば堆肥製造プラントと組み合わせてバイオマスやエタノール、火山地帯であれば地熱、プレート境界近くであれば高温岩体、あるいは都市であればゴミ処理施設発電など、各地域の発想にもとづいた大胆な多様化が考えられる。
またいうまでもなく、火力発電所(今後はオイル・シェイルやサンドのガス化を含め、天然ガスが過渡的に有力である)の効率化や送電の効率化(いわゆるスマート・グリッド)からはじまり、産業のあらゆる分野や製品の省エネ化が必要であるが、かつての厳しい排ガス規制に対応した自動車エンジン技術で示されたように、わが国はその最先端に立つ力をもっている。
だが多様化が必要なのはエネルギー産業や製造業だけではない。2045年には人口90億に達するといわれている人類に、食糧危機の足音が刻々と迫っているが、農業の多様化こそがその死命を制するものであるといって差し支えない。
食糧危機と農業の多様化
最近世界的に穀物や大豆の価格が高騰し、ここ数年高止まりしている。たしかに先進諸国の金融緩和による投機が刺激していることは事実だが、かつて大豆の最大輸出国であった中国が最大の輸入国となった一事をみてもわかるように、いわゆる新興国の急激な需要増大がその主因である。わが国は、輸出業界を困惑させている円高のおかげで、食料品の急激な価格高騰は免れているが(それでも徐々に値上がりしはじめている)、それにも限界がある。
だが価格高騰といった目にみえる現象よりも、近代農業の目にみえない恐るべき脆弱性が潜在的な大問題である。
つまり過去に挫折した「緑の革命(グリーン・レヴォリューション)」が典型であるが、収量拡大のための品種の国際的単一化(近年はさらに遺伝子操作品種)、化学肥料・農薬の多投など、地域の特性やそれに応じてきた伝統農業や伝統的多品種の廃絶である。緑の革命の挫折は、すでに明らかにされてきたが、単一品種が病害虫に弱く、そのためますます多投される農薬や化学肥料が地力の劣化を招き、雨による表土の容易な流出をもたらし、ついには沙漠化にいたる。
アンデスのインディオたちが耕作していたジャガイモは数千の品種に昇り、現在でも数百種を数えるが、それは特定の品種が病害虫にやられても、他の品種は生き残るという古代から伝承されてきた知恵による。だがいわゆるコロンブス以後ヨーロッパにもたらされたのは、そのごく一部にすぎない。ジャガイモはヨーロッパの寒冷地の主作物となり、アイルランドではランパー種という改良された多収穫品種が普及したが、1845年、茎が枯れる伝染性の菌糸であっという間に作物は全滅し、数百万人が餓死し、あるいはアメリカに脱出した。合衆国大統領J.F.ケネディを生みだしたケネディ家は、そのときの難民の子孫である。
現在、小麦の病原菌である菌糸の強い変異体であるUg99とよばれるものが、ウガンダからアフリカや中近東にいたる地域で蔓延しはじめ、小麦の茎を枯らしている。インド、パキスタン、ロシア、中国といった世界の穀倉地帯に伝染していくのも、そう遠い将来ではないといわれている。多収穫性の単一品種、化学肥料・農薬の多投といった近代農業の巨大な陥穽が地獄の蓋のように口を開けはじめているのだ。
予測される世界的食糧危機からの脱出の手掛かりは、それぞれの地域に応じた伝統農法の現代的変革と、それぞれの作物の多品種の復活である。伝統農法の現代的変革とはわが国でいえば、基本的には多品種有機農法と輪作・混交作など、江戸時代以来の農法の機械化であり、有機肥料プラントや地域エネルギーの自給化などと結びつけて農業のあり方を根本的に脱近代化することである。
私の子供の頃でさえ、米をはじめ穀物の品種は多様であったし、冬から春にかけての水田は、菜種や豆類が植えられ、春には視野一面が菜の花の黄色で染まった。また割ると中が紫色や白や赤のサツマイモなど、それぞれ違う味を楽しんだものである。菜種や豆類は土中の窒素分を増やし、病虫害に対する強さを与えて夏の稲作を助ける。
問題は多様な伝統種の種子である。わが国でも戦前の品種の多くは失われてしまった。農水省や農協をはじめ、危機感は極めて薄く、一部の努力は別として、シード・バンクへの関心もあまりないように思われる。国会での議論もない。
だが世界の先進諸国では、人類の生き残り戦略のひとつとして、政府組織・非政府組織を通じてシード・バンクへの関心がきわめて強く、予算や基金も豊富である。食糧危機を見越して海外の農地獲得に血眼になるより(いま大手商社がはじめている)、かつてのゆたかな農業国日本を、新しいかたちで再建することが先決である。
(「食料の《方舟》Food “Ark”」と題するCharles Siebertのきわめて示唆的な論文に刺激されて書いた。National Geographic July 2011)。



