今日は寒風が吹いて枯葉が舞い、さすがほとんどの落葉樹の葉は落ち、海がよく見渡せる。正月三が日にはみかけなかった貨物船の航行も復活した。双眼鏡で見ると、夕日を浴びて九州航路の大型フェリーが、かなりの波浪のなかを進んでいる。白色デッキに空色の船体が、大きくピッチングしながら波涛を蹴散らし、白い波しぶきをあげている。

ルソー生誕300年祭 

明けましておめでとうございます。今年2012年は、1712年生まれのジャン・ジャーク・ルソーの生誕300年祭である。わが国で人気のある芸術家や思想家などの生誕記念祭は、早くも前年から騒がれたりするが、このブログでヘンデルやベルリオーズあるいはリストについて指摘したように、人気はそれほどではないが真に偉大なひとたちについては、メディアではほとんどとりあげられない。ルソーも同じである。

気楽なブログなのでついでに書いておくが、ファースト・ネームのジャン・ジャークは、フランス語ではジャックではなく、長母音のジャークである。よく原稿や校正で編集者に訂正され、再訂正に追われたものである。昔アテネ・フランセでフランス語を習っていたとき、プレヴェールの詩の朗読を指名されたことがある。詩の題名のあとで「ジャック・プレヴェール」と発音したら間髪をいれず先生のマドモアゼル・ルフォークールに「ノン!」と訂正された。「フランス語は英語ではない! ジャックではなくジャーク、口を横に開くのではなく、縦に開いて柔らかく長母音で発音しなさい」と。とりわけの美人ではなかったが美しい金髪で、長身でかなり目立つルフォークールさんMlle. Lefauqueur(クールの発音も難しかった。いわば日本語のカールとクールとケールを混ぜ合わせたような音)は、人柄として私の好みのタイプで、自国語にすごい誇りをもち、かなりのパリ訛りではあったが発音にはうるさかった。

それはともかく、グローバリズム崩壊後の世界、あるいは脱近代文明を考えるうえで、ルソーはひじょうに大きな存在といわなくてはならない。

なぜならルソーは、世界で初めて編纂された百科事典の寄稿者でもあったため、百科全書派と呼ばれる啓蒙思想家たちと混同されるが、むしろ啓蒙的合理主義や、彼らが信奉する西欧理性または近代理性と真っ向から対立する思想家であったからである。

彼の代表的著作の一つである『社会契約論』は、彼の死後、フランス革命に多大の影響をあたえた。だが革命そのものは、ルソーが考えていた方向とは大きく異なり、戦略とイデオロギーを異にする集団相互の暴力的対立によって崩壊し、ナポレオンの権力掌握と皇帝戴冠により挫折してしまった。

この本でルソーがもっとも主張したかったのはイギリス流の《多数意志(ヴォロンテ・ドゥ・トゥース)の民主主義》ではなく、《一般意志(ヴォロンテ・ジェネラール)の民主主義》であった。だがこれほど誤解された概念も他にない。

多数意志と一般意志 

つまり多数意志の民主主義はいまなおわれわれの政治制度にもなっている近代民主主義であるが、それは、太古の自然状態は「ヒトはヒトにとって狼である」という混乱と闘争の世界であるとするホッブズ流の思想をもとに、法と秩序によってのみ社会の正義と安定は保たれると考えるものである。したがって民主主義もかならず利害や主張が対立するがゆえに、投票によって選ばれた多数派が決するしかないとする。

だがルソーはそれを真っ向から否定し(有名なことば「イギリス人は投票日の一日だけ主権者であるが、残りの日すべては奴隷である」)、むしろ太古の自然状態は人間相互が助け合い、自由と平等と友愛を実現していた理想社会だとし、富の蓄積と偏在がそれを崩壊させ、道徳的にも人間を堕落させたのだとする。したがってそのような自然状態の社会にあった《一般意志》を民主主義の根幹に据えなくてはならない、と。

これも代表的な著作である前作の『人間不平等起源論』──レヴィ=ストロースはこれを指してルソーを人類学の始祖と呼んでいる──では、当時フランスの植民地開拓がはじまっていたアフリカや北米の先住民たちの文化や思想が具体的に取りあげられ、「自然状態」にある諸社会がいかに自由・平等・友愛の社会であるかを実証しているが、『社会契約論』はその議論を前提としているのだ。

ついでにいえば、「高貴な野蛮人」という言葉を生みだしたこの本の議論の根本は、個々の人間も諸種族も、それぞれ身体的特徴も文化的特徴も異なっているように生物学的に不平等であるが、それゆえに逆にそれらの特質を最大限に引き出す「社会的平等」が必要なのだというものである。

すなわちルソーのいう一般意志は、こうした社会に実在していた自由・平等・友愛の政治的表現にほかならない。

たとえばのち19世紀にヘンリー・ルイス・モーガンが調査し、研究したように、アメリカ・インディアンのイロクォイ諸族では、氏族首長と戦闘首長及び宗教結社首長からなる評議会が民主主義を担っていて、さらにそこから選ばれたものが部族同盟全体の大評議会に参加して議題を決する。だが多数決ではなく、異議が出た場合もう一度各評議会に持ち帰り、議論し、さらにそれぞれの氏族や組織で討論する。いうまでもなくここは母系社会であるから、氏族の議論の主導権をもつのは女たちである。入り婿の男たちはその意見に従うほかはない。こうしてふたたび大評議会が開かれたとき、ほとんどの場合議題は満場一致で決定される。もし何度繰り返されても異議がある場合は、対立集団のレスリングなど儀礼闘争で決着し、闘争直後大宴会で和睦を図る。

これが一般意志であり、最終的にはそれは満場一致で表現される。

ところが革命のもっとも正統な継承者を任じた共産主義的社会主義諸国家では、「満場一致」のかたちだけを継承し、もっとも重要な一般意志の形成過程をまったく無視するにいたった。いうまでもなく彼らはイデオロギーが左翼というだけで、むしろ極端な近代理性の継承者だったからである(ナチスでさえ理性の欠如ではなく、理性の過剰が生みだしたものだというホルクハイマーの言葉を思いだそう)。

ルソーの一般意志は、いまもなおほとんど理解されていないといっても過言ではない。だがかつて60年代末の文化革命やステューデント・パワーに結集した若者たちや、いま「ウォール街を占拠せよ(Occupy the Wall Street)!」と立ち上がった反グローバリズムの若者たちは、この連帯と友愛(わが国では無能でピンボケの元首相のおかげでこのことばは空虚なものになってしまったが)に裏打ちされた一般意志の民主主義を求めているのだ。

ルソーの世界的影響 

デカルト的二元論に立ち、理性のみを至上とする観念的な啓蒙思想に対して、自然と内なる自然である身体性、とりわけ感性を重んじるルソーの思想は、宇宙や自然に基づく一元論であって、カントやゲーテやベートーヴェンといった偉大な知識人や芸術家たちに強烈な影響をおよぼした。

『エミール』や『ヌヴェル・エロイーズ』で主張された自然への回帰や自然性の尊重、あるいは感情の解放などの主張は、一般のひとびとに『社会契約論』などよりはるかに大きな影響をおよぼした。彼自身が述べたことばではないが、「自然に帰れ!」のモットーは、合理的で幾何学的なフランス式庭園に代わって自然性と野性を強調するイギリス風庭園が流行したことに象徴されるように、貴族社会にいたるまで全ヨーロッパを席巻した。啓蒙的理性に対抗して感性を主張するロマン主義の興隆も、ルソーの影響にほかならない。

だが啓蒙的合理主義の支配する知的世界、あるいは忍び寄る自由・平等・友愛の革命の足音に敏感な政治世界は、ルソーを最も危険な敵とみなす。迫害と繰り返された亡命のなかで「孤独な夢想者」は死ぬ。

たしかに、楽譜浄書や写譜などでかろうじて生活していた貧困時代、テレーズ・ルヴァスールとのあいだに生まれた5人の赤子をすべて孤児院に捨てるなどの生活行状や、被害妄想癖など、人格的に多くの問題があったことは事実だし、また著書のなかでも女性差別など時代の刻印を記している文もある。だがそれを超えて彼の思想から湧きあがる根底的な近代批判は、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ後の現実、あるいは近代の袋小路的帰結であったグローバリズム崩壊後の世界を考えるうえで、大きな示唆に富む。

脱近代の知を構想するとき、ジャン・ジャーク・ルソーの名をはずすことはできない。