
五分付米を羽釜で炊きました。

ほぼ白米と変わらない味でおこげがあるのがうれしい。
戦時下、米は配給制で1人1日4合5尺(400CC)。兵隊さんは6合。身体を酷使する兵隊さんには6合では足りず、いつも空腹だったとか。そのころ食べたという「かめのう」という品種のお米を、Sさんが長野で購入。
この「かめのう」の稲は農薬や化学肥料を使う畑に撒くと枯れてしまうそうで、無農薬・無肥料の畑で育ち、天日干ししたもの。購入してきたSさん(男性)はそれを器用に羽釜で炊いてくれた。おこげもあり美味だといいつつ、食したのは街宣仲間の女性たち。それぞれ黒豆を煮てきたり海老芋を擦ってきたりなどオカズは持ちより。

お米を購入し炊いてくれたSさん(右端)と食べた私たち。
Sさんが昭和初期製造の蓄音機と戦前のSPレコードも持参してくれて、音楽鑑賞付き。

蓄音機。80年前の電気を使わないで出る音だが、すばらしい音色。
戦時下、書物や手紙だけでなく、レコードまで検閲されたというからびっくり。歌詞を検閲するのだと。周りの人からの情報も多く寄せられる(密告ともいう)ようになるのだとSさんは言っていたが、「食料安保強化政策」というなんか怪しい法も岸田政権に作られ、SNSの状況は酷いし、だんだんそのころの雰囲気に近づいてるね、と私たち。