秩父の山奥に老ネコと暮らす友人の彌生さんは、強度の難聴が年々進み、ここ数年は会話が困難なほど。おまけに近年は眼も悪化し手術。その後も回復とは遠く、景色がぼんやりし、色が鮮明でないらしく、丹精を込めていた畑もやむなく放棄。

畑と草と木々のある借家

薪ストーブと1人暮らしになってからは独力で作った薪風呂に入り、テレビ・ラジオなく・新聞取らず、携帯電話だけという脱近代暮らしを実践。

薪ストーブと猫

彌生さんが1人暮らしになってから独力で完成させた薪風呂の入り口

薪を入れている彌生さん

薪風呂は湯舟を出てからも暖かい

 

2階では蚕を飼っていたという古い家を借りでいるので、カーテンも毛布という冬の寒さが直撃する造り。

毛布のカーテンがかかる室内

耳と目のハンディのなか、この冬を無事越せるか心配になり「息子がいる故郷(広島県・江田島)に寒い間は避難して」と12月25日にハガキを書いた。ほどなく電話が来て「ネコを湯たんぽにして寝ている。眼は視野が狭くなったが、正面からでなく、下や横からと角度を変えると見えたりする。それと苦手だった記憶力がグンと良くなり、台所仕事もOK。大丈夫」と。でも、猫の湯たんぽじゃねと彼女の秩父の女友だちに相談で電話した。すると彼女はすぐさま、様子を見に行ってくれ、私は彌生さんの姉に電話で様子を報告。姉もその日に広島・江田島の兄にめったにしないFAX(手術をしたがそれほど眼は良くないこと。息子の電話と住所を知らせてと)をこれも即座にした。あとはトントン拍子。昨日(12月29日)には女友だちから「タマゲタ」のメールがあり、息子が秩父の彌生さん宅にあらわれたとのこと。彌生さんは無事、良い年末年始を過ごせそうだし、私たち(友人と多分話はしてないが彌生さんの姉も)もホーとした。彌生さんは姉と妹と東京・本郷で玄米食レストラン「大きなかぶ」を運営。私とはそれ以来の縁。