アイデンティティはモンゴル帝国
ヒゲ:ガイドのMさんからは歴史の話も聞いたというけど、その内容は?
メガネ:彼は、カラコルムでは「カラコルム博物館」「エルデネ・ゾー寺院」、ウランバートルでは「チンギス・ハーン博物館」「国立オペラ劇場」を案内してくれた。案内人の言葉を通訳してくれて、ずいぶん有り難かったよ。
ヒゲ:歴史的な知識を持ってないと通訳はできないね。
メガネ:モンゴルの人たちにとって、チンギス・ハーンにはじまるモンゴル帝国こそ、アイデンティティの基礎だとよく分かった。
ヒゲ:ふーん。
メガネ:カラコルムからウランバートルへの帰途に寄ったレストランの壁面には大きな地図。それは13世紀から14世紀にかけての大地図だった。元、チャガタイ・ハーン国、イル・ハーン国、キプチャク・ハーン国と、ユーラシア大陸のほとんどを占めている。

13-14世紀のユーラシア大陸(『新 もういちど読む山川世界史』より)

ヒゲ:それらはチンギス・ハーンの子孫の国かな。
メガネ:そうだね。現在流通している3種の紙幣の肖像はチンギス・ハーンだし、泊まったあるゲルのwifiのパスワードが「チンギス・ハーン」のアルファベットだった。
ヒゲ:なるほどね。
メガネ:ウランバートルのチンギス・ハーン博物館は開館してまだ1年半とか。同市には歴史博物館がすでに存在するんだけど、あえてチンギス・ハーンの名を冠した立派な博物館をつくった。彼に関する遺物を全国から集めたんだね。

チンギス・ハーン博物館 Photo by Yukio Morinaga

ヒゲ:ソ連時代にはチンギス・ハーンの評価はどうだったんだろう。モンゴルは1924年に、世界で2番目の社会主義国になったんだよね。
メガネ:ロシアを蹂躙した暴虐の徒だったのかもね。1992年に社会主義を放棄して、チンギス・ハーンの評価は一変した。

カラコルム博物館
メガネ:カラコルム博物館では、主に旧石器時代から14世紀までの遺物が展示されていた。匈奴や突厥など、どこかで聞いた王朝の名前が出てきてね。
ヒゲ:それらの国は高校の世界史で習ったような。
メガネ:いずれもモンゴル高原を支配した王朝なんだけど、高度な文化を持っていたんだね。石像、磁器像、銀細工など、精緻で美しい遺物からは、文化の高さを認識したよ。
ヒゲ:モンゴル高原の歴史は、チンギス・ハーンだけではない。
メガネ:もちろん。突厥のあとウイグル、契丹が支配して、1206年からのチンギス・ハーンの時代に入る。ちなみにこのカラコルム博物館は、日本のODAで2011年に開館したらしい。

カラコルム博物館 Photo by Yukio Morinaga

13世紀のカラコルムを再現 Photo by Yukio Morinaga

 

世界史は1206年からはじまった
メガネ:チンギス・ハーンのモンゴル帝国を高く評価している学者がいて、世界史は彼が皇帝についた1206年からはじまったと書いている。
ヒゲ:どういうこと?
メガネ:岡田英弘という東京外大の名誉教授で、モンゴル帝国史を書くことで、地中海中心の西洋史と、中国中心の東洋史が統合されると主張している。
ヒゲ:東西世界の交流が激しくなったからね。
メガネ:紙幣の発行、徴税制度、戸籍制度の確立など、モンゴル帝国は経済政策では先進的だったとか。資本主義の基礎を築いたとすら『世界史の誕生』で述べている。

ヒゲ:モンゴル帝国というと侵略者のイメージしかなかったなぁ。
メガネ:中国で発明された紙の製造や印刷術なども、モンゴル帝国を通してヨーロッパに伝わったんだね。

グユク・ハーン勅書
メガネ:そういえば、カラコルム博物館には「グユク・ハーンの勅書」なるものが展示されていた。
ヒゲ:グユク・ハーン?
メガネ:モンゴル帝国の第3代皇帝で、第2代皇帝オゴデイの長男。つまり、チンギス・ハーンの孫にあたる。
ヒゲ:その勅書は誰に宛てたもの?
メガネ:ローマ教皇インノケンティウス4世宛てで、彼からの書簡への返信らしい。教皇はもちろんキリスト教への改宗を求めた。
ヒゲ:グユク・ハーンはそれを拒否したわけか。
メガネ:そうだね。そして、ヨーロッパ侵攻を正当化した。
ヒゲ:うーん、まさに東西の歴史の貴重な資料だ。
メガネ:もっとも、バチカン図書館所蔵の写しらしいけどね。

グユク・ハーン勅書

(つづく)

2024年7月30日 ワーニャじいさん