『ハチドリ』 

画面の主人公ウニは中学2年で、ソウルの集合団地に暮らす。家族は父母と兄と姉。一家総出でやりくりする家業の餅屋は典型的な零細企業で暮らしは楽でない。いきおい父親は子供たちに高学歴を期待する。けれども、期待と裏腹に子供たちの学業はどれもパッとしない。家族のだれもが憤懣を抱えている。そのはけ口は自然と、一番傷つきやすい年頃のウニに集まる。

一家の犠牲者役を背負わされるウニには、感情的トラブルが後を絶たない。万引きを誘ってきた親友の裏切り、受験戦争に埋没させられる恋人の離反(彼の母親はウニのことを、「あんな餅屋の娘なんかと…」と露骨にさげすむ)、慕ってくれていた下級生の離反…

こんな時せめて母親が寄り添ってくれたら、と期待するのだが、この母の態度がもうひとつはっきりしない。教育ママではないし、ことさら親の権威を持ち出すでもないのだが、かといってやわらかい母性で包むわけでもない。どこか暖簾に腕押しなのだ。

映画の冒頭はこの母の不在を象徴する。無数にひしめく無機質な集合団地の遠景から始まるそのシーンで、学校から帰宅したウニは、呼び鈴にもドアノックにも応答しない扉に向かって「オンマー!オンマー!(おかあさーん!)」と絶叫する。それが単なる母の不在を告げるものでないことは、物語後半でいささか唐突に表れるシーンではっきりする。ウニが目先の坂を上る母親に向かって呼びかけても、母は素知らぬ顔で姿を消していくのだ。

こうして、ウニは誰もいない自宅のリビングで飛び跳ねる。喜びからではなく、誰にも表現できない怒りのために跳ねる。あるいは親友とトランポリンで飛び跳ねる。けれど、周りはネットで囲まれている。彼女には自由な跳躍は許されないかのようだ。

自暴自棄になりそうなウニの孤独をかろうじて受け止めてくれるのは、漢文塾のアルバイト先生としてやってきたヨンジである。ヨンジの過去はハッキリしないが、ウニの孤独と焦燥に共振できる過去を持っているらしい。さらに、大学留年を重ねる今も韓国社会の現実にうまく適合できないでいると思える。ウニはヨンジのなかにもう一人の自分を見つけ出し、束の間の安らぎが訪れる。

だがウニにとって運命はどこまでも冷たい。ソンス大橋陥落事故でヨンジは不帰の客となる、ウニに一通の手紙を残して…

ラストシーンは、いくぶん虚ろなまなざしで放課後の校庭をながめるウニの姿だ。周りには受験勉強に励むメガネ姿の級友たちが目立つ。流れに乗った彼女たちの屈託のなさそうな表情(同じような孤独を抱えているのかもしれないが)とウニのそれがいかにも対照的だ。ただ、「自分を好きになるには時間がかかる」、「やられてばかりじゃダメだ!」と慰撫・𠮟咤するヨンジの言葉を覚えてさえいれば、ウニの視線の先にほのかな希望を読むこともできる。

蛇足をひとこと。夏休みで別れる前にウニはヨンジ先生に一冊の小説を送っていた。スタンダールの『赤と黒』である。ジュリアン・ソレルとレーナル夫人、あるいはマチルドとの波乱万丈の恋物語を送るウニは、何を伝えたかったのだろうか…

さらなる蛇足だが、ほぼ同じ時期にセウォル号事件を題材にした『君の誕生日』を観た。名優ソル・ギョングとチョン・ドヨンを起用しつつも、こちらは演出過剰気味で期待外れだった。それだけになおのこと、『ハチドリ』の物静かな語り口が少女の揺らめきを伝えて秀逸に感じられた。

キム・ボラ監督 2018年 韓国映画

むさしまる