大空の彼方からだんだん高度を下げるにつれて、ある島だけが光り輝いて見えてくる。さらに地表に近づくと不可思議な文様が、あるいは波のようにうねる縞模様になって、あるいは葉脈の拡大写真のようになって、画面いっぱいに広がる。

縞模様は連なる山々が、葉脈は雪解けの水の流れが、それぞれ陽の光と戯れて作り出したものだった。夢物語から目が覚めたような気持になっていると、今度は深く碧い海原と海岸線、そしてまた樹林を抱えた山中へ…

全編空撮のドキュメンタリー映画『天空からの招待状』はこんな風にして始まる。ナレーションが入って、そうかこれが「麗しの島(フォルモーザ)」とポルトガル人の船乗りに謳われた台湾の「自然」なのか、と気づかされる。海はあくまでも青々としてあり、森は原初のままかと見まがうほど深い。

だが、そのうちに、原始の森を削ったような山肌が露出する。2009年の8・8水害の爪痕だろう。その異常な降雨量は果たして「自然」災害だろうか。そんな疑念を払しょくするかのように、今度は、平野部の豊かな光景が広がる。まるでパレットに溶かした絵具だ。長方形の田畑が整然と広がる。南国の平和な農村風景はかくありなん、と思う。

この幸福も長続きしない。近代化の波がすでに侵食しているから。養魚産業のための地下水吸い上げパイプがムカデの足顔負けに気味悪いほど並ぶ。建築用コンクリート生産のために削り取られる山肌。その近くの山々には、過剰な人口をさばくべくマンションが立ち並ぶ。平野部には巨大な煙突が得体のしれない煙を吐き出している。そして、これらの集大成のごとく、どす黒い川が青い海に汚物を吐き出している。

既視感にとらわれる。そう、まさしく日本列島の姿でもあるから。おそらく台湾は、終戦後以降の近代化が急速であっただけに、それに伴う歪みがあからさまに噴出しているのだろう。映画を撮ったチー・ボーリン監督はその歪みを空からの映像で表現したかったという。

ところが、試写会での大方の感想は、「これでは暗すぎる、誰も見てくれない」というものだった。やっぱり夢がなきゃ、というわけで、最後のほうは 「麗しの島」よもう一度となる。

有機農業で自分たちの糊口をしのぐだけの収穫をめざす人々、伝統的な祭りの屋台に群がる人々、田舎の学校の運動場で手を振る老夫婦… そして最後は、峨峨たる山頂を目指す女の子たち。十数名のその女の子たちは、尖った岩山にたどり着いて歌いだす。先住民族の歌だ。93分の映像のなかで2箇所ある演出の一つがここである。彼女らは先住民族の子供たちなのだ。

ついでに言えば、冒頭と最後で先住民族らしい歌声が響いてくるが、これは『セデック・バレ』という1930年の霧社事件を題材にした映画の主人公が歌っている。意味内容は分からないながら、どこか奄美の節を聴いているようで和む。台湾語のナレーションはホー・シャオシェンの『悲情城市』の脚本を書いたウー・ニェンジェン。映画の撮影はすべて天空から。そのための特殊な軍事用カメラを、借金をして米国から買い求めたという。

第二弾を、と期待したいが、それは夢となった。監督・撮影のチー・ボーリンは次なる空撮のさなかに事故死し、既に青空の彼方に逝ってしまったのだ。『天空からの招待状』は処女作であると同時に遺作となった。合掌。

2013年台湾制作
監督・撮影:チー・ボーリン
製作総指揮:ホー・シャオシェン
音楽:リッキー・ホー
ナレーション:ウー・ニェエンジェン

むさしまる