寡黙で大人しい有鉄(ヨウティエ)は、新疆ウィグルに近い中国甘粛省の貧しい農家の四男坊だ。両親と長男、次男もすでに亡く、三男の兄の家に寄宿している。その兄の息子が結婚を決めて同居するため、兄夫婦は弟の厄介払いを目論む。折よく相手が見つかったが、それは溢流性尿失禁という症状(意識的に失禁をとめることができない)をもち、かつ片足の不自由な貴英(クイイン)という貧乏農家の娘だった。こうして厄介叔父と厄介娘の貧乏所帯、村人たちが「お似合いの」と揶揄する夫婦が生まれる。

生活に彩りを添えるのは、一頭のロバと卵からかえった数羽のヒヨコ、それと軒下においた巣で子育てをはじめるツバメ夫婦だ。彼らの生活は最下層に属する。住居は土壁に囲まれた質素な部屋だけらしく、食事は万頭とわずかなおかず、この程度らしい(ヒヨコが成長してからは卵が加わるが)。

それでも、この貧しさに暗さはない。おそらく妻のクイインの過去には自分のみじめさと他人への羨望の日々があったはずだし、結婚当初の生活でも夫に失禁を始末させる気後れを隠すことはできないのだが、そんな妻の障害をこともなげに淡々と処理するヨウティエの身動き、それが暗さを払しょくする。それは、やさしさとか思いやり、といったものとはちょっと違う気がする。

そもそもヨウティエは厄介叔父の境遇にみじめさや卑屈さを感じていなかったようで、農民が生きるというのはこういうものだ、となんの疑念なく思っているらしい。結婚するまで、彼の真の話し相手は、耕す土、実りをもたらす草、そして辛い労働を共にするロバ、こうした自然界だったと思う。クイインは彼女のマイナスを帳消しにするような、それこそ「お似合いの」自然児と出会ったのかもしれない(ついでにいえば、この夫の表情を見ていると、わたしたちの喜びや悲しみのありようが何かのシステムによって過度に増幅されているような気さえしてくる)。

けれど、この日常は突如終わる、ひょんな拍子に妻が川に落ちて死んでしまうのだ。まったく唐突に、あっけなく妻は逝く。一人になった夫は泣き崩れることもなく淡々と喪に服する。観ていたわたしの頭に、ふと、こんな韓国の済州島の諺がよみがえった。いわく「悲しみが少ないとき涙は流れる」。

この映画(『小さき麦の花』)を観る人には、なによりもヨウティエの穏やかな顔貌に注目してほしい。彼を演じたウー・レンリンは監督の実の叔父で、実際に農民だという。さもありなん。演技ではとうてい表現しえない、ホンモノの農民を感じる。妻役のほうはれっきとした女優だが、彼女にも賞讃の言を贈ろう。ロケ地である甘粛省のウー・レンリンの農家に住み込み、その地の生活に慣れ、方言を体得するのに一年かけたというその役者根性はあっぱれだ。

もう一点の見どころ、それは、家屋の室内、煤けたような土壁という背景のなかに、妻の身につけている青いスカーフが目を射る画面構成だ。ひとつしかない右側の窓から夕陽と思しき光がさしこんでいる。このバリエーションは何度もあるし中庭でも繰り返される。あっ、フェルメール・ブルー!と思ったが、自信はない。

『小さき麦の花』(2022年)中国映画

原題入塵煙 Return to Dust

監督:リー・ルイジュン

主演男優:ウー・レンリン

主演女優:ハイ・チン

賛助出演:ロバくん

 

むさしまる