殺人罪で終身刑を宣告され12年間獄中にある女囚レイラ・ステーン、彼女は「さる人の嘆願が認められて釈放」との知らせを突如受ける。どこへもゆく当てのない彼女を引きとるのは牧師ヤコブで、食事付き宿泊と引き換えに盲目の老牧師に宛てられた手紙を代読し、返事を代書するのが仕事である。こうして、ともにハンディを背負った者の同居生活が始まる。

ところが、すべてに無関心で投げやりなレイラは釈放に喜ぶこともなく、与えられた仕事も手抜きだらけ。あまつさえ届いた手紙の半分を井戸に捨て、果ては自殺まで試みる。そのうち、手紙が一通も来なくなる。信者に必要とされていない現実を思い描き、牧師という自分の天職を疑いはじめるヤコブはやつれ果ててゆく。一計を案じたレイラは、郵便配達人に手紙がなくとも何か届けろ、と脅す。

翌日、レイラは配達人が届けた商品カタログをさも手紙のように開封し、相談事を創作する。差出人の記載はナシ、といいつつ。演出を察知した老牧師がその場を立ち去ろうとすると、彼女は「もう一通ある」といって、長文の内容をこう語りはじめる。幼い頃、暴力的な母親の制裁から身をもってかばってくれた姉リーサは、とある男と結婚した。だが、その夫もまた暴君で、ある日、姉をさいなむ光景に逆上して夫を刺し殺してしまった、と。

差出人はレイラ・ステーンだね、と牧師はいい、自分の部屋から手紙の一束をとってくる。すべて姉のリーサ・ステーンからだった。「自分を助けたために獄中にある妹が面会してくれない、手紙も送り返される。彼女のために祈ってください」といった内容である。号泣するレイラを残して、お茶を入れに行く牧師。ところが、いっかな戻ってこない。案じたレイラが見つけたのは、こと切れて床に倒れている老牧師だった。

いくつかエピソードを割愛したが、『ヤコブへの手紙』(2011年、フィンランド映画)は概略このような展開になる。フィンランドの片田舎という舞台のせいもあって、映画には終始静かで穏やかな雰囲気が漂う。登場人物のセリフも少ない。万事投げやりなレイラはもともと無口だし、ヤコブ神父もけして能弁ではない。神父の生きがいである手紙を配達する男は、「ヤコブ牧師、手紙ですよ」という決まり文句一辺倒。まるで風景と表情を読みとってくれと言わんばかり。

登場人物はほぼこの三人に尽きる。舞台も、近くの教会に赴くとき以外はヤコブの茅屋とその庭にかぎられる。そして全編で75分という短尺の映像。これはフランス古典演劇における三単一の法則(一日で、一つの場所で、一つの筋で)を彷彿とさせる。そして優れた古典演劇と同じように、観終わったあとには深い充足感が残る。

ところで、束になって届いていたほどの手紙が急に一通も届かなくなるのは、いかにも不自然ではないか。ひょっとして、ずっと前からそうだったのでは? 誰かが神父に同情して同じような手紙を送り続けていたのか? 真相がどうあれ、とにかくヤコブ神父は殺人を犯したレイラの傷を癒した。ひとつの絶望がもうひとつの絶望を救ったといってもいい。いや、まだ救ってないとしても、絶望を癒す道筋をレイラに与えたことは間違いない。冒頭でもレイラの身の上について「どこへもゆく当てのない」と記したが、割愛したエピソードのひとつに、神父に愛想をつかしたレイラが家を去るべくタクシーを呼び、運転手に行き先はどちら?と聞かれて絶句するシーンもある。そんなレイラが涙ながらに読んだ姉の手紙には住所が記されていた。寄る辺ないレイラにようやく安住の地へと至る道がひらけたわけである。

2011年フィンランド映画
監督 :クラウス・ハロ
レイラ:カーリナ・ヘイザード
牧師 :ヘイッキ・ノウシアネン
郵便配達人:ユッカ・ケイノネン

むさしまる