9年前に物故した桜井じいさんは無類の文学好きだった。その死に方はマンション掃除中に倒れて…というもので、(細部は省くが)じつは野垂れ死に近い。
「雨ニモ負ケズ…には生かさせてもらった」といつも話していた桜井さんらしい最後だと思う。その宮沢賢治熱が昂じたあげく店の名前を「銀河不動産」とした。いうまでもなく、『銀河鉄道の夜』から拝借したのである。
賢治オタクのこの桜井さんは、答えに窮するような質問をして楽しむことがままあった。「あんた、死について考えたことあるかい?」というのもそのひとつ。おそらく上記の「…生かさせてもらった」と表裏の関係にあった質問だろうが、この問いを発したとき桜井さんはどんな回答を期待したのだろうか。何を伝えたいと思っていたのだろうか。
その疑問を今更ながら思い起こしたのは、『賢治童話の魔術的地図』(私市保彦著、新曜社)を手にしたためである。本の帯には「岩手の土俗的世界から(「イーハトーブ」といった)普遍的で魔術的な世界を創造した賢治童話の謎に、比較文学の手法で迫る」とある。その手法の切り口は『銀河鉄道の夜』をめぐる考察、とりわけ、「銀河鉄道の夜」と天気輪幻想、と題された一節の分析で冴える。
「霊の世界、他界幻想と言えば、それを語る賢治童話の圧巻は「銀河鉄道の夜」の世界であろう」と切り出した著者は、いくつかの資料を検証したうえで、こうまとめる。
「とはいえ、「天気輪」は、こうした、汽車の車輪、五輪塔、宝塔、後生車、事故死した子どもへの祈り、他界への道、宝輪などの総和としてだけあるのではない。これはなによりも、賢治の内的な想像力の力が、地上から天空に飛躍するために丘の上に屹立させた幻視の柱なのであり、天と地を結ぶ幻想のトポスなのである。(中略)こうして、賢治は、土俗と地誌と自然科学のマチエールを使いながら、想像力の錬金術でそれをきたえあげ、凛とした硬質の幻想を創造したのである」
最後の「凛とした硬質の幻想」という表現に注目したい。わたしを含めた一般読者は幻視、幻想、想像力といった語彙に没論理的な世界をイメージする。まして、宮沢賢治は「童話」という、子供でも読める物語の作者、として小中学校の教科書で紹介されることが多い。だから「総和」という表現にもアマルガム、寄せ集めといったイメージが付きまとうが、それどころか「銀河鉄道の夜」の描く世界は玄妙というべき構築性をもつのではないか。ただ、わたしたちの日常的論理とは異質の、あるいは別次元の構成で織りなした創造世界だから、最終的には比喩的にしか語れない。「凛とした硬質の」とはそういうことだと思いたい。
『賢治童話の魔術的地図』を読んであらためて強く感じたのは、「童話」や「児童文学」を非論理的な子供だましと裁断する根拠などあるのか、という疑問だ。むしろ逆に子供は、社会化・常識化したわたしたちが普段使っている散文的ロゴスに支配されない別の感知・識別方法をもっているのではないか。知るかぎりでは、アラン・ポー少年がある種の永遠を感知する触角をもっていた(したがって孤独だった)。その触角は、大人のロゴスに浸食されない少年期だからこそのものではなかったか。ひょっとして、子供たちはロゴスと異なるレンマと親和性があるのかもしれない。
さて「銀河不動産」の桜井さんに話を戻すと、死について尋ねてきた彼の問題意識のなかには、理不尽な死をめぐる名状しがたい想念があったのでは、という気がする。少年時代に目にした朝鮮半島での残虐行為と自死した母親への怨念とも哀惜ともつかぬ心情を吐露したこともあるから。じゃあ、『賢治童話の魔術的地図』で指摘される賢治の他界幻想への共感があったのかどうか。今となっては確かめるすべはない。だからこそ、あの世の桜井さんにこの本の感想を聞きたい。とともに、世間知らずの若造のアンタに分かるかな、といわんばかりに情念的文学論を好んで持ち出してきた桜井翁に、こういう分析と感性で織り上げた書物でかたき討ちをしたい気もある。ムムムッ、とうなる老爺の顔が浮かぶ。
むさしまる