おいしい本が読みたい 第47話 絶望×絶望=…

ある雑誌を眺めはじめたら、当然のことながら、巻頭インタビュー記事が目に入った。見出しには「絶望読書……」とある。見出しの下には本人の写真もあって、刈り上げふうの髪型をした、地味で真面目を絵に描いたような人相の、年の頃は30半ばといった男性の横顔が映っている。このトッチャン坊やのごとき風貌に惹かれて、『絶望読書』(頭木弘樹、飛鳥新社、2016)なる妙なタイトルの本を手に入れた。

副題に「苦悩の時期(とき)、私を救った本」とある。どうやら著者は大学生になった頃に難病に冒され、もがいたあげくの読書体験を「絶望読書……」という形で表現したらしい。専門的に文学を探求したそれ系の本とは一味違うわけだ。奥付にある肩書も「文学紹介者」とあり、評論家でも批評家でもない一介の紹介者にすぎない、という立場がうかがえる。そして、この紹介者に徹する姿勢から生まれる文章がなんとも小気味よく響くのだ。

紹介する作家や噺家は、太宰治、カフカ、ドストエフスキー、金子みすず、桂米朝、向田邦子、山田太一などで、この顔ぶれをみていると、筆者が伝えようとする内容がうっすら感じとれるかも知れない。頭木の主張をひと言でいえば、絶望しているときは、無理にそこから逃れようとせず、一見絶望的な、しかしそっと寄り添ってくれるような物語を読んだ方がよい、ということになるか。

「幸せな家庭はみんな似ている」と書いたトルストイと同じように、「幸福な物語は一度しか書けないが、不幸な物語は何度でも書ける」と文豪バルザックは豪語した。この不幸を絶望だとすれば、絶望もまた千差万別で、無数に書くことができる。だから頭木式にいうと、絶望しているときに読むべき物語は数限りなくある、ということになる。ちょっとした慰めになるかもしれない。

ところで、「絶望するなんて傲慢だ」とサン・テクジュペリは書いた。けれど、それはかの一神教を奉る人の言い草で、八百万の神々のましますこの風土では、絶望をそれとして受け止め、「切ない風が吹くなら、吹かせておきなさい」と語った渡辺一夫のことばのほうに軍配を上げたい。とりわけ『絶望読書』を読んだあとのわたしは、渡辺の精神にあらためて納得した。

さて話を本書に戻して、もっとも納得したのは、難病になった筆者が病院で読んだカフカの『変身』のところである。これまで、さまざまな人からカフカの小説にたいする知的なあるいは感覚的な共感を聞いてきた。それはそれで、意を唱えるどころの話ではない。ただ、この筆者の場合、出発点はあくまで肉体で、クモ化する身体を文字通り生きたところが、こちらの身に染みる。

作家のところでもうひとつ唸ったのは、ドストエフスキーである。これは引用されている『罪と罰』の一節で、少し長いから最後のところだけ記すと、「生きて、生きて、ただ生きていさえすれば! たとえどんな生き方でも——ただ生きていられさえすればいい!……」とある。この部分は死刑囚の独白のなかにはめこまれているので、前後の文脈のなかにおくと、なおいっそう浮き彫りになって読者に伝わると思う。

ここでさらに、『罪と罰』のこのページを広げて、入院中の患者の枕元あたりにおいてみる。患者は医者からこの病は一生治らない、と宣告されている。つまり、ある種の死刑囚にほかならぬ患者頭木の枕元で、この文言が鳴りひびくわけである。だからこの本の読者は、前半を読みすすめるなかで、まるで独房の難病患者のように、この文字列を凝視することになる。

じつをいうと、筆者は独房のような個室に入る経済的余裕はなかった。ひたすら六人部屋だったという。したがって、病室でのほかの患者との、当事者同士のどうしようもなく人間的な、いや動物的ともいえる、交流が生まれる。その話が、これまた、じつに泣かせるのだ。

手術で麻酔ミスのあった筆者は、専門家の予想しない痛苦を味わったらしい。術後の集中治療室で、障子の桟が見えなくなるほどの痛みを味わう出産間近の妊婦さんと同じような痛みを感じながら、夜勤の看護婦さんを呼ぶのを控えたため(理由は本書を読んでください)、一晩中痛みでエビ反りになったことがあった。あるとき、退院した同室の患者が見舞いにきたので、「あのときは痛くて痛くて……」といい始めたら、その男が涙をポロポロこぼし始めた。彼はアルコール中毒で麻酔がきかず、かつての手術のときの激痛を思い出したらしい。

かくて男二人は、病室でおいおい泣きぬれた、というじつに泣ける話なのである。ところで、かつて同室のその男性は、じつは筆者とはさして親しくなく、どちらかといえば馬の合わないタイプだったのだが、今なおこの涙の光景がときどきよみがえり、自分を慰撫してくれるという。なるほど古今を通じて、相憐れむのは同(じような痛みを味わった)病者なのだ。

むさしまる