おいしい本が読みたい 第51話 桜は、「美しい」!
『台湾漫遊鉄道のふたり』(楊 双子著、三浦裕子訳、中央公論新社。2023年)は植民地時代の台湾を舞台にしたグルメ旅行である。
太平洋戦争がはじまる少し前の昭和13年5月、日本の作家青山千鶴子は、台湾総督府と台中の婦人団体「日新会」による講演旅行の招待を受け、門司港から台湾へとむかう。現地で千鶴子の案内役兼通訳を務めるのは王千鶴、現地の小学校の国語教師やめたばかりのインテリ女性である。
千鶴子はノッポで大食漢かつ大雑把、千鶴は小柄で料理通のうえ繊細という対照的なこの二人が、ボケと突っ込みの漫才みたいな会話をしながら、台湾各地を訪ねてグルメ三昧にふけるストーリーだ。かつて人気を博した漫画「おいしんぼ」の台湾版といえばいいか。
二人のグルメ旅行は、台湾島の左側を北端から南端まで走る「台湾縦貫鉄道」に沿って展開する。料理の種類は、街の屋台の庶民的な食べ物から、凝りに凝った台湾式宮廷料理まで、実に多彩な顔ぶれだ。そうした料理の説明に添えられる中国、台湾の文化史的情報や漢詩などの蘊蓄もなかなか凝っている。
それらの説明はすべて現地人の千鶴が、好奇心の強い千鶴子に労をいとわずしてやる。そういう千鶴に千鶴子は好感を持ち、二人の間には内地人(日本人)と本島人(台湾人)の垣根をこえた友情らしきものが芽生えてゆく。ただ、ときおり千鶴子は、千鶴の心のどこかに目に見えぬ壁を感じる。得体の知れぬその壁が何なのか、千鶴子の胸にわだかまるその疑問・不安が、日本で生まれ育ったわたしたち読者には、物語の展開を追わせる原動力にもなっている。
さて、その疑問を解明するヒントは最後のほうに、こんな形の会話として登場する。
「阿里山(南台湾の高山地帯)の桜、来年の春、一緒に観に行きましょうよ」私が千鶴に言った。
気が乗らない様子の千鶴。
「内地の桜を、本島の土地に無理やり植えるのは、やっぱり横暴よね? 千鶴ちゃんもそう思ってるん
じゃない?」
「そんなことは言っていませんよ」
「帝国のやり方は強引でとっても不愉快だけど、でも美しい桜に罪はないわよね」
「青山さん」
「うん?」
「はっきり言って、もう青山さんはどうしようもない!」
千鶴子の発言のどこが問題なのか、どこが気に入らないのか? 白状すれば、「でも美しい桜に罪はないわよね」のあたりに問題があるのだろうと推測したが、「現代の内地人」であるわたしは、そのどこがいけないのか、青山千鶴子と同じように「うん?」と思った。わたしは赤緑色盲で、桜はつねに〈白い花〉をつける、たんに華やかな春の花にすぎない。しかし、そんな個人的な問題ではありえないはず。
あるいは、土質の問題があって、台湾では桜は台湾では美しく咲かないのだろうか。ヨーロッパの観光客が、日本で木瓜の花の美しさに惚れこみ、母国に移植したところ、赤い花(色彩表現の違いはご容赦を)がちっとも映えなくてガッカリ、という話を友達から聞いたことがある。でも、それならそれで千鶴だって説明のしようが……などと考えめぐらしていると、幸運なことに、中国北部の黒竜江省出身の作家、楊逸(ヤン・イー)さんが日本経済新聞に書いたエッセーを思い出した。こんな話だ。
寒い故郷にいた頃、美しい花といえば色鮮やかな牡丹を思い浮かべ、淡い色の桜がなんで日本でもてはやされるのかさっぱりわからない、と感じていた。ところが、気候温暖な日本に来て暮らしているうちに、桜のあの薄桃色の美しさが初めて感得できた、と。
美しさはあくまで風土との関係で決まるもので、普遍的なものではない。ならば、「美しい桜」は内地人のものであって、それを本島人におしつけてはならない、ということになる。しかし、この話を戦前の能天気な作家の失敗談で済ますわけにはいかない。「内地人」に安住していると、天動説の世界から抜け出せなくなる。それでは植民地時代を生き続けていることになる。こりゃあ、「モノノアワレ」だって、「ヤマトゴコロ」だって、怪しいゾ!
むさしまる