おいしい本が読みたい 第52話 民主の歌姫誕生

この人いったい誰? 手書きらしき文字の記された鉢巻き、「反対軍菅」と間違いなく手書きのプラカード、民主歓聲…と読めそうなブラウスに書かれた文字。
じつはこれ、去る週末に友人が企画した「没後三十年、テレサ・テンの歌を聴く会」に配られたパンフレットのなかの一枚である。わたしを含む集結した物好き四名はテレサに関してほとんど知識がない。それを察知して友人は情報満載のパンフレットを用意してくれたというわけだ。
しかし、かつて彼女の歌が巷にあふれていた昭和の頃、街角のレコード店のポスターや雑誌のどこかに映っていた、丸っこい少女顏のテレサとの落差は大きく、思わず「これ何時の写真?」と問うた。友人によれば、1989年6月4日の天安門事件の一週間ほど前に(すなわちテレサ36歳)、香港で開催された民主化を求める大会でのワンショットだとのこと。「空港」のような歌謡曲の歌い手としか受け止めていなかったわたしには、予想外の展開だ。さっそく翌日、市立図書館から『私の家は山の向こうーテレサ・テン十年目の真実』(有田芳生著、文芸春秋、2005)を借りだした。
テレサの一家は外省人、つまり第二次大戦後に台湾に渡った中国人で、父親は河北省出身の国民党軍人、母親は山東省出身だった。となれば、大した階級でもない軍人一家の台湾での暮らし向きは想像できるし、売れっ子歌手になった娘の収入に期待する事情も納得がゆく。かつてこのシリーズ第41話で台湾原住民の女性と結婚した国民党兵士の話を記したことがあるが、それから察するとテレサの両親が抱く望郷の念もいくらか想像できる。
テレサの中国観はどうだったのか。両親の故郷への、はるかな郷愁みたいな感触は本の中からは感じられるが、それ以上のことはわからない。ただ、テレサは売れっ子になって香港で活動し、現地に住居をもって生活してもいる。とりたててリベラルを標榜した形跡もない彼女が香港の民主化運動の大会に、なぜ参加したのか。母親から政治的行動は極力控えるよう厳命されていたにもかかわらず、である。どうやら、直前になって居てもたってもいられず衝動的に決意したらしい。
このとき会場で歌ったのが「私の家は山の向こう」という曲である。テレサがこの歌を人前で歌うのは初めてだという。中国のある地方の歌を国民党(軍)が利用したといわれる。歌詞の一部を紹介しよう。
私の家は山の向こう
そこには豊かな森があり
そこには果てしない草原がある
(……)
地底から飛びだした狸鼠によって
全てがすっかり様変わり
それは山脈を孤独にし
人間的な善良を飲み込んだ
(……)
友よ一時の安楽を貪るなかれ
できるだけ早く帰って
民主の火を燃やそうよ
私たちの育った所を忘れちゃいけない
それは山の向こう
「狸鼠」とは鄧小平のことらしい。「民主の火」は、当時もその後も、香港の人々の心情にピッタリだ。もっともこの歌詞が誰の何時のものなのか、国民党(軍)が歌ってたそのものなのかどうかはよく分からない。ともかくテレサはこの歌詞で歌った、望郷と民主が混じり合うこの歌詞の歌を。抜群の歌唱力をもつテレサにしては珍しく微妙に音程が揺れるのは、むしろ好もしい。それにしても、なぜ直前になって、しかも反対を押し切って、この集会に参加しこの歌を歌ったのか?
ところで、有田氏が若い頃のテレサにインタビューしたエピソードがある。テレサが自分の好きな歌はこれ、といったその歌の印象から彼女の抱える深い孤独感がうかがえる、というようなことを有田氏は書いている。一方、「わたしの家は山の向こう」という歌詞を歌うテレサの心情を想像すると、わたしの生きる場所は今のこの場所ではなく、山の彼方だ。今のわたしは本当のわたしではない、と感じていたようにも思える。
テレサの孤独感、寂寥感はどこかで望郷と民主につながらないだろうか。そしてまた、その後のお人形さんみたいなフランス男ステファンとの同棲にもつながらないだろうか(彼女は、そのステファンとの関係はけして添い遂げる相手ではない、と冷静に認識していた)。
ともあれ、闘志テレサの歌声に耳をかたむけるにしくはない。ありがたいことに、有田氏の著書にはミニCDが巻末についていて、あの会場で歌ったままの「私の家は山の向こう」が聞こえてくる。百言は一聞に如かず、である。是非一聴を!
むさしまる



