おいしい本が読みたい●第五話    辣腕編集者一代記   

純文学であろうと大衆文学であろうと、文学作品の成立には、作者と読者の需給関係が深くかかわっている。そこで等閑視されやすいのが、両者をつなぐ黒子、すなわち出版・編集である。時代の流れに抗して、人々の安易な欲望に掉さしつつ良書を世に問う気骨漢もいれば、無内容ながら大人気の小説家を育てる企業人もいる。ただ、洋の東西を問わず、良貨は悪貨に駆逐されやすいのが不滅の現象らしい…

さて、この黒子にスポットライトを当てた力作が出た。『名編集者エッツェルと巨匠 たち』(私市保彦著、新曜社、2007)である。舞台は十九世紀フランス。政治的激動 の波にもまれながら出版業界が自己を確立してゆく、まさに手に汗を握る時代だ。巨 匠たちには、ユゴー、スタンダール、バルザック、サンド、ミュッセ、ベルヌといった豪華 メンバーが顔をそろえる。

これらの大家たちと読者を、書物という商品を介してつないだのが、出版人エッツェル だった。市場の動向を伝え、ときには内容や表現に注文をつけ、意気消沈した作家が いれば励まし、手元不如意とあらば援助を惜しまぬ。だから、作品というものは作家と 出版・編集人の共同作業といっていい。生活者としての素顔が見えにくい文豪たちと、 理想に燃える辣腕編集者との、そうした作業の舞台裏に案内してくれる点に本書の功 績のひとつがある。

ところで、人目に触れぬ舞台裏とくれば、私信を利用せぬ手はない。いかにも本書は 繰り返しエッツェルの書簡を引用する。ここに第二の功績がある。つまり、筆者の地の 文とエッツェルの書簡という図が自然に溶け合い、幸福なバランスを築いてゆくのであ る。エッツェルへの深い共感がなければこうはゆくまい。ともかく活字の手紙がいわば 肉筆の風貌を帯び、そのことによって、わたしたちは歴史の激動に文字通り手に汗握 るわけだ。

フランスの出版業は現在、大手の半数以上が軍需産業関連会社の息がかかってい る。そのうえ次期大統領にサルコジを選んだフランスだ。予想通りとはいえいささか気 落ちしていた折だから、過去の人ながら、気骨漢にめぐり合えた幸運には、やはり感 謝したい。

むさしまる