おいしい本が読みたい●第九話 名著を味わう
家人はまったく期待しないが、ときに厨房で腕を振るうこともある。小泉武夫先生まがいの、名の知れぬ一品が得意の分野だけれども、世間並みの料理に挑戦することもやぶさかではない。ただ、“異分野”に手を染めるときはやはり道案内がいる。すなわち、料理本である。
あらためて数えると、わが家のキッチンにも相応の数の料理本が並んでいて、それぞれお世話になった時期がある。「時期がある」と記したのは、年齢や流行とともに味覚も変遷したからだ。しかし、風雪に耐え、ここぞというときに紐解く座右の書といえるのは次の二作に尽きる。
まずは、『ごちそうさまが、ききたくて』(栗原はるみ、文化出版局)。ショウガやニンニクを調味料に使う料理がわたしと相性がよい。全般的に味付けが多少濃い目のところも好みがあっている。不精男が挑戦する料理本だから、けして手の込んだ逸品なぞではありえない。どれもこれも、それこそちょっとした家庭料理の域を出ない。が、それでいて、出来上がった品々は、これはいける!と納得させるところが筆者の非凡さであろう。
「食いしんぼうの夫にひっぱられて…」と、どこかに書いてあったが、こういうサラっとした言葉づかいの端々に、栗原はるみの晴朗さが感じられて、そのあたりもこの本を気に入る理由になっている。むろん、夫どころか、本人が食いしん坊そのものだからこんなに工夫して料理をつくるにきまっている。言葉づかいといえば、「わけもなくせん切りが好きで…」の一句をはじめて目にしたときは、思わず拍手したものだ。あのリズムと音と感触は、得がたい快感のひとつではあるまいか? サクサクサクサク……
もう一作は、『お母さんのちゃぶ台』(生井洋子、女子栄養大学出版部)という。カバー写真に写った、使い込んだちゃぶ台に〔大豆ごはん〕と〔じゃが芋と玉ねぎのみそ汁〕だけ、という構図からも、タイトルからも予想されるように、徹底してなじみのある食材を使う料理本だ。ありふれた食材で、ということは冷蔵庫に残っている確率の高いものだが、そういう材料でいかに変化に富んだ、うまさを引きだすか、そのためのちょっとしたひと手間こそ、この本の真骨頂である。
身近な素材を工夫する術の多くは母親や義母のおかげ、と筆者は先人の教えを力説する。その点からするとこの本は、明治から昭和四十年代くらいまでの、日本の平均的主婦が連綿と作りつづけてきた品々の集大成であって、いわば共著か。なるほど、たとえばシイタケの軸も使いきる姿勢といい、ぎりぎりの分量の調味料といい、限られた自然条件から最大限の効果を生みだそうとするその創意工夫のエネルギーこそ、日本の食文化の原動力にちがいない。
と、このように、わが厨房には立派な指南役がいる。残るは、こちらの技量である。天ぷらを揚げたとき、最後には中華なべの底に、キッチンペーパーでぬぐうだけの油しか残らない、そんな天晴れな職人技をめざして、いざ!
むさしまる



