おいしい本が読みたい●第十二話
心のミカンの物語
わたしにとってバナナとミカンは切っても切れない関係にある。冬の越後の仏壇にはいつもこのふたつが、美味しそうな色つやを競っていたから。四季をつうじて色とりどりの果物にかこまれるようになった昨今では、希少価値のないバナナとミカンの有難味はすっかり地に落ちたけれども、あの黄色、そしてとりわけオレンジ色は、今なお気持ちをなごませてくれる。きっとそこには、二つの物語の力が働いている。
ひとつは、そのものずばり『蜜柑』。いうまでもなく芥川龍之介の短編である。冬の夕暮れどき、列車のなかで、垢じみた小娘の場を弁えぬ振る舞いに、いささか侮蔑のこもった嫌悪感をいだいていた「私」が、踏切近くで見送る弟たちにミカンを投げる彼女に、一転して暖かな慰安をえる、という筋書きだ。冬空に落下するオレンジ色は、生きる疲れに倦んだ「私」のくすんだ心を、ほんのつかの間、やわらかい色彩で染め上げてくれる、まるで夕陽のように。それにしても、重苦しい曇天に踊るミカンという対照の、なんとあざやかなことか。
どうも芥川はミカンの暖色が相当気に入っていたらしい。というのも、もう一編の物語のほうもまた、同じ作者の『トロッコ』なのだ。
少年良平は自宅近くから軽便鉄道のトロッコを押してゆくのだが、あまりの嬉しさに我を忘れ、海が開けたところで遠く来すぎたことを悟り、べそをかきながら走って帰るという物語である。中学校の教科書で読まされたとき、まったく面白さを感じなかった。数年前読んだときもやっぱりそうだった。ただ、その折に始めて気がついたのが、ミカンのことである。
少年は最初に、ミカンの実っているあたりを通り、ついで枯れた竹藪に沿い、そして突如視界が開け、寒々とした海原が目に飛び込んでくる。この海原の光景で少年の心細さは頂点に達する。芥川はこの三点の情景で、嬉しい暖色のミカン色から、ちょっと不安の入りまじった中間色の枯れ草色を通過し、最後は冬の太平洋の寒色、と少年が母の元を離れるにしたがって、暖から寒へと心模様を景色の色で点綴したのであった。
こんなぐあいにして、わが家の仏壇のそうでなくとも暖かなミカン色に、芥川の蜜柑が、さらにあざやかな彩りを加筆してくれたのであった。やはり、ミカンはふるさとの団欒にこそふさわしい。となると、遠き都の夕暮れに、ここぞと食するのはミカンしかない。
むさしまる



