おいしい本が読みたい●第十四話    肖像画は語る  

新書版の見開き2ページで一人、百人で二百ページ、これで一冊。何の話かと言えば、出久根達郎の『百貌百言』(文春新書)のことだ。あとがきに「人の特徴は、逸話と言葉に、端的に表われる。人の面白さも、またこの二つにあろう。すなわち風貌と言辞である」と記されている。で、このタイトルか。

それはそれとして、2ページの額縁に個性豊かな百人を過不足なく封じ込めてゆくのは、並大抵の業ではない。しかも、一筆書きの妙がある。達意の文章家たる出久根の面目躍如といったところで、一読を勧めたい。

これとは対照的に、木村俊介の『変人 埴谷雄高の肖像』(文春文庫)は埴谷雄高ひとりを描くために、27人にインタヴューした作品である。出久根の肖像画が一筆の色でひとりを染め上げたとするなら、こちらはひたすら黒子に徹して自分色を排し、他人の意見という借りてきた出来合いの色彩で、厄介な肖像画を仕上げたことになる。なるほど、こういうブリコラージュもある。

面白いのは、いかに変人とはいえ、埴谷にたいする印象がこうも違うかというところ。並み居る作家連中がそれぞれ自分の読み取りたい埴谷像を、あるいはこう言ってよければ、自分の身の丈に合わせた埴谷像を描いている。そこが筆者というか合成家の木村がそもそも目指したところらしい。「無理やりたった一つの、「真実」の埴谷雄高像を抽出するのはやめようと思った」とあとがきにある。

そのたった一つの「真実」ならぬ「誤ったベートーヴェン像」を「一掃したい思いに駆られ」て心血を注いだのが、青木やよひの遺作『ベートーヴェンの生涯』(平凡社新書)である。これはまた、一個の天才の生涯をまさしく生涯をかけて描ききった労作だ。「生涯をかけて」を「生涯を賭けて」と言い換えてもいい。なぜなら、半世紀をこえる研究期間の長さだけでなく、病魔に襲われた肉体の限界をこえて、原稿用紙の文字に、残されたエネルギーのすべてをそそぎ込んだからである。鬼気迫るとはこういう執筆執念をいうのだろう。

上記二作とはまったく趣を異にする、正面切った闘い、みごとな一騎打ちではないだろうか。その証拠に、遺された肖像画は、青木やよひでなければ書きえないような、「きわめて人間的で徹底した自由人であったベートーヴェンの相貌」を、不思議と静けさが漂う筆致で描いている。

「青木ベートーヴェンの誕生」だけなら手放しで喜べたのだが…

                                むさしまる