おいしい本が読みたい●第十五話   物語の快楽  

物語好きでジュール・ベルヌの名を知らぬ人は少ないと思う。たとえ彼の名を知らなくとも、『地底旅行』とか『十五少年漂流記』とか『海底二万里』とかの名前はどこの小学校の本棚にもあったはずだし、ご飯もおやつも、もちろん宿題も、忘れ果てて、このどれかを読み耽った日々が懐かしい人も多いだろう。わたしもまたそのひとりだ。

で、ある日、思い立って『海底二万里』(私市保彦訳 岩波少年文庫)を手にとった。懐かしさに誘われて、というのとはちょっと違う。少年の頃に夢中になった世界は、社会化を経た今の自分にはどうなふうに映るのか、知りたくなったというのが近い線だ。懐かしさがなかったわけではないが…その背景には、ひとつのエピソードがある。本を読む前の夏のことだが、幼い頃に眺めては、野獣の住む大きな森だと好奇心と畏怖のこもったまなざしを投げかけたところが、なあんだちっぽけな林じゃないか、という気持ちになったことがあり、『海底二万里』だってひょっとして、と気になったわけである。

この確認作業にいくらか問題があるとすれば、それは、読むテキストが異なるということだ。少年の頃のそれは、たしか講談社の少年少女世界名作全集のような名前のダイジェスト版だった。しかし物語の本質的な部分は異ならないはずだ。

前置きはさておき、完訳版『海底二万里』。いや驚いた。どうしてこんなに面白い物語が、少年少女の専売特許になっていなければならないのか。社会生活に疲れた世の大人たちこそ、『海底二万里』を読まないでどうすると、啖呵のひとつも切りたいほどだ。厭世家ネモ船長にわが身を仮託するだけでも、ある種のカタルシスをえることができる。そもそも、海のなかは地上はまったくコード体系が異なる世界だから、ノーチラス号に乗った瞬間からすでに、そこは完全な物語空間なのだ。博物館の系列が好きな人のなかには、同じ系譜の水族館マニアがいるものだが、そういう人には、とりわけ堪えられない世界だろう。

もうひとつ、完訳版ならではの収穫があった。ジュール・ベルヌの博覧ぶりである。ともかくすさまじい量の海洋生物の名前。百科事典の国フランスの面目躍如といったところだが、出版者エッツェルの意図をくんで教育的配慮が働いているのだろう。

もちろん、教育的配慮ばかりではない。この作品が世におくられたのは1870年、ときあたかも万国博覧会がフランスでもてはやされた頃である。1851年のロンドンに初登場した万国博は、1889年のパリ万博で英仏二強時代に入る。この博覧会はありとあらゆる「もの」を分類するまなざしに満ち満ちていた(この辺りの事情は吉見俊哉の『博覧会の政治学中公新書)が格好の案内書)。

まなざしということは、とりもなおさず欲望ということだ。すなわち、「もの」に対する、圧倒的な、肥大した、欲望だ。百貨店の出現もその欲望表出の一形式である(博覧は百貨にほかならない)。だから、1898年のパリ万博でシンボルとなった塔の設計者エッフェルが、世界初のボン・マルシェ百貨店の設計を手がけていたとしても何の不思議もない。そして、その欲望のもうひとつの対象が植民地であったろう。『海底二万里』刊行の五年後には、あの史上名高い(というか悪名高い)ベルリン会議が控えている、アフリカという獲物を直線で切り刻んで、西洋列強間での分け前を配分した、あの会議が。

が、どうやら大人の欲望に筆が流れすぎたようだ。なにはともあれ、ノーチラス号に乗るのが先決である。物語を子供だけに任せておく手はない、誰でもノーチラス号に乗っていいのだから。それでも読むのをためらうのなら、あと一押しするために、須賀敦子が引用しているスペインの哲学者フェルナンド・サバテール(『物語作家の技法』みすず書房)の一節をおくろう。

     「感性の麻痺した大人として、土曜の午後に訪れるあの管理された
現実逃避の感覚に包まれながら、霧深い魂の故郷へと降りていく」
手段としての「物語」
 (須賀敦子全集、河出書房)  

                                             むさしまる