『台湾の少年』(游珮芸周見信 著、倉本知明 訳、岩波書店、2023)は蔡焜霖(さい・こんりん)〔1930‐2022〕の個人史をたどる長篇漫画だ。各巻の副題は、1統治時代生まれ、2収容所島の十年、3戒厳令下の編集者、4民主化の時代へ、となっていて、つまりは1895年の下関条約に始まる植民地化以降の近代台湾の人民が味わった苦難と解放の歴史である。

蔡焜霖は、原住民族の反乱として有名な霧社事件のあった1930年に生を受けた。使う言語は家庭を代表とする私的空間では台湾語(先住民族の場合はそれぞれの民族言語)、学校などの公的空間では日本語だった。さらに1945年の敗戦後は日本語にかわって国民党政権が強要する北京語と、母語以外の言語のくびきを受けた。台湾の人々はいわば言語の牢獄を生きてきた。

本作では言語の違いを視覚的に表現するために、漫画の吹き出しはそれぞれの言語の書体を変えてある。さらに日本語の場合は書体の色も他の二言語と異なる。視覚の面でのもうひとつの特徴は、遠い過去の幼少年期を表現するためだろうが、絵の線が細く柔らかで淡い感じで、感触として絵本のようになっている点だ。

これを第2巻の収容所島の絵とくらべると、落差がはっきりする。こちらは極太の輪郭線、そして牢獄の象徴である黒い影の部分が多くなり、見た目は版画に近い。国民党政権下だから、むろん言語は北京語だ。収容所島とは台湾の東南方にある緑島のことで、1987年までここに政治犯の収容所があった。知的好奇心の旺盛な若者だった蔡焜霖は、左翼的読書会に参加したという理由で当局の弾圧の対象となり、収容所で10年の辛酸を味わった。

第1巻に話を戻すと、幼年期を描いた光景のなかには「お手つないで、野道を行けば…」、「夕やけ小やけの赤とんぼ…」、「兎追いしかの山…」など日本語の童謡が意外に多く登場し、この時代に育った子供たちの言語的原風景が垣間見える(皇民化政策の見事な成功例だとしても)。しかも、男の子の保育園風の帽子といい、女の子のおかっぱ頭といい、読んでいたわたしの脳裏にはふと自分自身の昭和の原風景が浮かびあがった。

さて、蔡焜霖は10年の刑期を終えたシャバに復帰し、前科者として常に当局の監視下にあって「小さな牢獄から大きな牢獄に映ったに過ぎない」(本人の弁)のではあるが、紆余曲折を経て社会的影響力のある業績をあげてゆく。そして1987年、苦難の時代をへた台湾社会は民主化を実現する。退職した蔡焜霖は1950年代の白色テロ事件の名誉回復運動に打ち込む。

2018年、「移行期正義促進委員会」によって50年代の白色テロ時期における判決の取り消しがすすめられ、最終的に2021年までに蔡焜霖を含むほぼ6000名の政治受難者がその罪名から解放された。こうした一連の動きを促進したのは、自国の過去を直視する勇気をもった時の総統蔡英文(さい・えいぶん)の英断である。こと対中関係においてはあいまいな現状維持に徹した彼女にすれば、台湾有事発言などはた迷惑な要らざる斟酌でしかない。

2020年、台北で入院した蔡焜霖の病床の光景でもって漫画は最後のシーンをむかえる。これは妻「きみこ」(統治時代の日本名「清水喜美子」のことで、台湾語名は楊壁如)が夫に小声で語る物語ではじまる。しかもその物語は、日本語で語られ、耳をかたむけていた焜霖の感想も日本語だ。二人の姿は中学校高学年くらいで、上に記した幼少年期の画風にもどっている。

台湾の人々は物語を締めくくるこのシーンをどんな気持ちで読むのだろう? 統治時代に幼少期をすごした世代のなかで過去を懐かしく想起する人は別として、日本語を体験しなかった世代はどうなのか? そして、日本語バージョンを読んでいるわたしたちはどうなのか? 自戒を込めて記すが、先の童謡のように自分の原風景をここに重ねたあげく、台湾の人々は親日派だなどと考えて悦に入ることは危ない。

むさしまる