おいしい本が読みたい 第57話 夜間中学

先日、高野雅夫さんが昨年7月に85歳で亡くなっていたことを知った。といっても、知らない人が多いかもしれない。高野さんは1939年旧満州生まれで、戦争孤児として日本に引き揚げ、21歳で荒川区立第九中夜間学級に入学し、卒業後に夜間中学増設運動にその後の人生をささげた。

10年ほど前のことだが、江東区の市民センターで作家の李 恢成(イ・ヘソン)の講演を聞き終ってロビーをぶらついていたら、ヒゲもじゃのオジさんが床にシートを敷いて本を売っていた。タイトルを見たら『学ぶたびくやしく 学ぶたびうれしく』(守口夜間中学編集委員会編2014年㋆初版第5刷、解放出版社)とある。夜間中学ってなに?という世間知らずの疑問が顔にでたのかどうか、わたしを注視しているヒゲオジさんはじつに人懐っこい笑みをうかべた。裏を見れば定価1,900円+税とある。呑兵衛らしく見えたオッサンの酎ハイ2、3杯になるのも悪くはないと思い、買った。

この本にある2009年時点での統計によると、夜間中学生の年齢と国籍は、(年齢):10代から80代まで。60代・70代が最も多い。(国籍):中国からの引き揚げ(26・5%)、在日朝鮮(14・1%)、日本(18・4%)、移民・難民(2・9%)、その他(38・1%)である。中国、朝鮮半島からの人々の比率が高いのと、第一部「生きる・いきる」で自らの半生を生々しく語る人の多くがこの地域の人たちであるため、わたしの読後感として在日中国・朝鮮半島の人たちの夜間中学という歪んだイメージが定着してしまった。

この歪みは修正されるのだが、そのまえに、この本にかかわる夜間中学の基本的情報を記しておこう。1947年大阪市生野区に夕間学級開設。戦後の混乱と貧困のため、学校に通えない100万人といわれた長欠生たちを夕方から夜に教える学級は全国で87校をかぞえ、生徒数は5000人を超えたとされる。1966年、行政管理庁が文部省に「夜間中学早期廃止勧告」をだす。1968年、高野さんが夜間中学廃止反対運動を推進し始める。1973年、守口市立第三中学校に夜間学級開設。2008年、大阪・橋元知事、就学援助と補食給食の府援助を08年度10%減、09年度以降ゼロとする方針を打ちだす。

大阪府のこの方針に抗して立ち上がった夜間中学生とそれに賛同する教員や支持者たちの現場の声を集大成したのが『学ぶたびくやしく…』の本である。運動の中心には高野さんの姿があり、抵抗理念の基本には高野さんのテーゼともいうべき「義務教育未修了者を救うという慈恵的考えでなく、憲法で想定されている教育の権利保障という思想」が流れている。夜間中学は、理念的にはあってはならないが、現実的にはなくてはならぬ学校だ。とりわけ、日中戦争と太平洋戦争で被害を受けた人々へ正当な教育を保障するのは、行政として最低限の義務であるはずだ。

さて先月、友人から『35年目のラブレター』(小倉孝保著、講談社文庫2024年)をすすめられて読み、日本人の夜間中学生の存在を知った。日本語の読み書きの不自由な西畑保さんが、陰湿な差別の連続をのりこえて結婚し、退職後に奈良市立春日中学校夜間学級にかよい読み書きを習得して妻に手紙を書く、というのが骨子だ。ただし差別の傍らには、ホッとするようなエピソードが点綴されている。もっとも印象的なのを記しておこう。

主人公の西畑さんが22歳のとき就職した大和高田市での出会いの一件である。そこの寿司屋に料理職人として雇われたとき、毎朝リヤカーで残飯をとりに来る人と顔なじみになった。その独特のなまりの所以を店の奥さんに聞くと、「あの人たちは朝鮮人や。外国人や」と知らされる。西畑さんは在日コリアンが日本人だと思っていたのである。この先入観ゼロの「無知」が僥倖を呼ぶ。近くのコリアン集落に住むその顔なじみから「今晩、ホルモン焼くんや。食べに来るか」と誘われるのだ。生まれて初めて「読み書きについて気にする必要のない、優しい世界が広がっていた」。むろん、お互い様である。だからして、事情で転職することになり集落を訪ねると、おばさんが涙を浮かべて、こういう。「それは寂しくなるな。あんたと別れるのはつらいわ」「心から話のできた日本人はあんたが初めてや」

むさしまる