今では日本の誰もが知っている中国の都市だが、わたしにとっては、COVID19以前に親しみのある名前だった。さだまさしのドキュメンタリー映画『長江』のメイン舞台ともいえる場所だったから。日中戦争の舞台ともなったこの湖北省の商都の、解放以前の姿は珍しかった。好奇心丸出しにカメラを見つめる人々の質素と朴訥さ(そしてちょっと抜け目なさそうな表情の青年もチラッと)が、やけに印象的だった。

もう一つ理由がある。それは、この映画の製作スタッフから話を聞く機会があり、制作の舞台裏をいくつか教えてもらったから。武漢の街の撮影をめぐる苦労もその一つで、現地の人々にだいぶボラれた、と。

ああ、あの街が、ウーファンが…。ロックダウンという耳慣れぬ言葉を聞いたとき、40年前の映画の人々を思い出した。あの時の若者たちが、はや還暦だ。そのなかの一人に、作家となった方方(ファンファン)がいる。今回取り上げる『武漢日記』(河出書房新社)の著者その人である。

帯には「忘れてはいけない、この悲しみの日々を」 、「新型コロナウィルスの孤独な夜、1億人以上が心震わせた衝撃ドキュメント」とある。しかし、わたしの心を強く打ったのは「悲しみの日々」ではなくて「怒りの日々」であり、「孤独な夜」以上に「連帯の夜」だった。方方のメッセージはもちろんどちらも含んでいるが、武漢市民のつらい体験を身をもって知ることになるかもしれない明日のわたしたちにとって大事なのは、彼女の旺盛な闘争心であり、それを支えた仲間の熱い支援ではないだろうか。

さて、「怒りの日々」の源は何か。筆頭は、新型コロナウィルス発生直後に無責任な発言をして不必要な感染拡大を招いた医療関係者および地域共産党幹部。それにしても、方方の舌鋒の鋭さは並大抵ではなく、これじゃブログの文章が削除されるわけだと妙に納得した。ただ、ときに国家レベルの施策にはどこかお追従めいたセリフも見られ、面従腹背のポーズかなとも思わせる。

もう一方の「連帯の夜」は、インターネットと電話をつうじて広がる人々の想像の共同体のことだ。方方は武漢のみならず全国的に有名な作家で味方も敵も多いようだが、彼女の強みは、医療関係者の知人が現地に何人もいて、冷静で的確な情報をいち早く知ることができたことである。これは大事な教訓だ。きちんと怒るには、信頼できる確かな情報が必要だと。この情報を得るという点で、彼女は決して孤独ではなかった。さらに、彼女にはネットを通じて応援してくれる無数のファンがいた。

「連帯」について、もう一つ追加しておこう。著名な作家だから「連帯」が成立したわけではなく、ロックダウン下では市民同士の助け合いと武漢市以外からの民間部門の援助の姿があった。前回のわたしの映画感想で、たまたま長江を遡上する連絡船の人民のことを書いたが、そこの人々の表情と同じように、武漢市民が非常事態下を生き抜いていくたくましさには、中国の持つ強烈な底力を見せつけられた気がした。まさかの時の友こそ真の友、という諺はこういう時に生きてくる。

武漢市民が生き抜いた姿勢には、心から拍手を送りたい。それとともに、わたしたちがこの諺を実感させられる可能性が低くないことを胸に刻んでおこう。

むさしまる