霧のなかの真実――田坂具隆『この父に罪ありや』

田坂具隆の『この父に罪ありや』は、50分の小品である。しかし、観終わって、大長編映画を体験したかのような感慨をもった。テーマがいく層にも重なり、そのそれぞれに思考を巡らさないではいられない。「ああ、面白かった」で済まされる作品は楽でいいのだが、この種の映画はそうはいかない。

主人公は20歳の志津子である。歳の離れた弟と父親の3人家族。弟は、母親の不在に耐え難い寂しさを抱えている。どうやら母親は、弟が産まれたときにこの家を出奔したらしい。志津子は、その事実を弟に話すべきだと父親を説得するが、父親は肯んじない。

志津子には、気心の知れたいい許嫁がいる。何でも隠さずに話しあおうと、固い約束を交わしている。ところが、人を介して、父親のもとに婚約解消の申し出がある。彼女はその事実を受け止められない。理由を父親に尋ねても、曖昧な答えしか返ってこない。父親は知っていながら、知らないと嘘をつく。

父親は、弟にも真実を隠し、志津子にも嘘をつく。この父親を許すことができるのか、というのが第一のテーマである。父親は、多少頑固なところはあるものの、心の優しいいい人間として描かれている。10年前に別れた妻に対しても、いまだに経済的な援助をしているのだ。

志津子は、叔父(母親の弟)を通して、自らの秘密を知ることになる。父親の実の娘でないという事実を。すでに妊娠していた母親を、承知の上で父親は受け入れた。そして、我が子のように慈しんで、志津子を育てたのだった。この事実を、父親は何としても打ち明けることができない。そして志津子は、自らの秘密を知ったことを、父親に伝えることをしない。父親の、彼女に対する思いやりを尊重したのだ。真実は霧の中である。

「嘘をついてはいけない」というのは、一般的な道徳である。では、この父親の嘘は許されないのか、とこの映画は問うている。そして、答えはないのである。映画を観た人たちそれぞれが考えるしかない。道徳は一言で説明できるほど単純ではない。

家族とはなにか、というのが第二のテーマである。それは、血のつながりを超えたものだ、というのが、この映画の主張である。「家族共和国」。この家族観を広げていけば、間違いなく「平和」の概念にたどり着く。

そして、男と女の間の愛情について。第三のテーマである。父親は、真面目で、思いやりもあり、人間としてよくできた男である。しかし、母親は、この男を愛することができなかった。男との間に子どもが産まれたことをも、重荷に思えたほどだ。そして、ふたりの子どもを残して出奔する。この母親は身勝手なのか?

映画は、母親を非難することはない。心の通わない男との10年間を、よく耐えたとも表現する。いい男女の関係を結ぶためにはなにが必要なのか。もちろん答えがあろうはずはない。「家族共和国」は容易に築くことができるものではないのだ。

名作といわれる映画のひとつの要素は、多義性、多様性だと思う。人生そのものがその要素に満ちている以上、映画にもそれらが反映されるのは当然ともいえる。物語の迷路をさまよいながら、考える。映画の醍醐味であろう。

2022年5月4日 於いて国立映画アーカイブ

1937年日本映画
『真実一路』2部作(3時間弱)の改題短縮版
監督:田坂具隆
原作:山本有三
脚本:荒牧芳郎
撮影:伊佐山三郎
出演:小杉勇、片山明彦、花柳小菊、滝花久子、島耕二、井染四郎、笠原恒彦、津村博

2022年5月6日 j.mosa