原爆投下はなぜ防げなかったのか――クリストファー・ノーラン『オッペンハイマー』

強烈な光と、それに続いてもくもくとわき上がるキノコ雲。大画面は不気味にうごめき、会場を揺さぶる大音響。1945年7月16日、アメリカは南部ニューメキシコ州の砂漠に、世界ではじめて原子爆弾が炸裂した。トリニティ実験である。上映開始直後からの、身体に直接響きわたる音響は、この瞬間への導入であった。

この映画は、原爆製造のマンハッタン計画を主導したオッペンハイマーの、いわば伝記である。音で原爆を体験させたように、観客を映像のなかに引きこみ、主人公の経験をリアルに体験させることが目論まれている。オッペンハイマーは多くを語らない。観客は、彼が会った人物、彼が抱いた恋人、彼が受けた授業、彼が出席した会議などから、彼の全体像を創造しなければならない。

戦後、オッペンハイマーは、水爆開発に反対したゆえ、共産主義者だと疑われ、公聴会にかけられる。かつての恋人、妻、弟、友人など、彼を取りまく多くの人たちが共産主義者だった。彼も共産主義者の集会に出たこともあり、その思想的背景は明らかである。ロシア革命からまだ20年ばかり、共産主義の理想は色褪せてはいなかった。映画は、この主題に多くの時間を割いている。

アメリカのマンハッタン計画は、ドイツが原爆を開発しているという情報をもとにはじまった。ドイツよりも先に開発しなければならない。1939年、アインシュタインはじめドイツからの亡命科学者が、ルーズベルトに書簡を送った。それから3年後の1942年、研究が本格的にはじまる。全米から優秀な科学者がニューメキシコ州ロスアラモスに集められ、オッペンハイマーはその研究部門のリーダーとなる。

「ドイツよりも先に原爆を完成させる」。これがマンハッタン計画の第一の目的であったはずである。ところが、1945年3月、ドイツが開発を断念したという情報を得たにもかかわらず、開発は続行される。日本は戦争を続けている、と。

研究者の間では、原爆の日本投下に慎重な意見が出はじめる。原爆開発の先陣の論を張った亡命科学者、レオ・シラードはその中心人物である。実験には日本を含めた他国の人間も立ちあわせるべきだと主張した。そして、署名活動も展開する。オッペンハイマーは、この行動にどのような反応を示したのか。

この映画の、もっとも重要な場面であるはずである。原爆投下の詳細を決定するのは政治の分野で、研究者のオッペンハイマーではない。しかし、そのリーダーの意見は、尊重されるにちがいないのだ。彼はシラードなどの反対運動には距離を置いた。このあたりの描写は多くなく、不満が残った。

それに、日本の降伏は時間の問題だった。原爆を投下して、数十万人の市民の命を犠牲にするまでもなかったのだ。投下したことによって、何十万人ものアメリカ兵の命が救われたというのも、後付けの論にすぎない。むしろ、日本が降伏する前に、投下したかったのではないのか。莫大な金と時間をかけたプロジェクトである。実験で終わらせるのではなく、実践に用いたい、と考えても不思議ではない。マンハッタン計画の総責任者、グローヴス准将の胸の内を聞いてみたいところだ。

とはいえ、この映画は、オッペンハイマーの自伝であり、原爆投下という政治問題を扱ったものではない。彼の、学問、思想、家族、愛までも、時代に翻弄された。ひとりの、悲劇的な科学者の自伝として、観ごたえのある映画であった。

2024年4月21日 於いてTOHOシネマズ日比谷

2023年アメリカ映画
監督・脚本:クリストファー・ノーラン
原作:カイ・バード・マーティン、J・シャーウィン“American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer”
出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr.、フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネット、ケイシー・アフレック、ラミ・マレック、ケネス・ブラナー
音楽:ルドウィグ・ゴランソン
撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ
編集:ジェニファー・レイム

2024年4月30日  j.mosa