原題はLa chimera(幻想) ――アリーチェ・ロルヴァケル『墓泥棒と失われた女神』
モンテヴェルディ『オルフェオ』のプロローグの音楽が鳴り響くなかで物語ははじまる。列車のなかで眠りこける若い男。上下のスーツだが、すっかり擦り切れている。この男がオルフェオか、と想像する。そういえば、彼の夢で若い女が微笑んでいた。エウリディーチェかもしれない。
ギリシア神話では、エウリディーチェは毒蛇に噛まれて死ぬ。竪琴の名手オルフェオは、彼女を求めて、黄泉の世界に降りていく。確かにこの映画では、主人公アーサーは、古代エトルリアの宝を求めて、地下の墓に降りていく。竪琴の代わりに木の枝を持ち、墓の存在を感知する。彼は特殊能力の持ち主で、墓泥棒の一味なのだ。冒頭のシーンは、ヘマをやって捕まり、刑期を終えて帰宅途中の列車だった。
舞台は1980年代のトスカーナ地方。その地では、前8~3世紀頃、エトルリア文明が栄えたという。「ブリタニカ国際大百科事典」にはこうある。「貴族たちは壮大な墳丘を伴う墓地に多くの副葬品とともに埋葬された。特徴的な遺物としては、青銅製小型人像、鏡、化粧箱などの金属細工品、ギリシア式の陶製の壺などがあげられるが、墓室内に残された壁画や壁面彫刻、石棺の浮彫およびそのふたの肖像彫刻などは、エトルリア人の生活を知るうえでの貴重な資料である」。
もちろん、ほとんどの墓はすでに盗掘されている。しかし、見逃された副葬品などがあり、それらを売りさばけば、何ほどかの稼ぎにはなるのだ。アーサーはイギリス人であるのだが、その能力ゆえに、墓泥棒一味に重用されている。そして彼には、喪った恋人ベニアミーナがあった。
アーサーは、刑務所から帰ったその足で、古い館に住む老婦人を訪ねる。彼女はベニアミーナの母親で、歌を教えている。そこに見知らぬ美しい女が。名をイタリアといい、歌の教授を受けながら、老婦人の世話をしている。ふたりの子どもをもつ未婚の母で、そのことを誰も知らない。
アーサーは、恋人ベニアミーナの幻影を追いながら、明るく、生活力にあふれたイタリアに惹かれていく。地下世界に絡みとられている彼には、青い空のようなイタリアの存在が必要であった。
映画はいっぽう、常に警察と対時しながら盗みを繰り返す墓泥棒の実態を、ユーモアを交えて描いていく。未盗の墓を探り当て、そこに美しい女神像を発見する出来事がクライマックスである。ここでアーサーは、宝を巡って醜い争いを繰り広げる者たちを尻目に、放浪の旅に出るのだった。彼が求めていたのは、太古の宝などではなかった。
私は、この映画のエンディングを、2度も勘違いしてしまった。放浪の末たどり着いたのは、イタリアも仲間である女性のコミュニティだった。廃駅を住居に、子どもも含めた活気あふれるコミュニティ。「ここは一時的。人生はいつも一時的」と、イタリアは明るい。彼はここに受け入れられる。ところが、ここでエンディングにならない。彼は早朝、イタリアにも黙ってコミュニティを去る。
コミュニティを去るアーサーには孤独の影が濃い。ああ、ここで映画は終わるのか、と思った。ところが、そうはならなかった。彼は自らの能力を生かして、また墓を探しはじめる。そして、地下深く潜っていく。いったい何を求めて。入り口も閉ざされ、戻ることもできない。そこに、上から一本の赤い紐が。彼はそれを掴み引っ張る。その紐の先にあったのは、ベニアミーナの輝くような笑顔であった。
監督のアリーチェ・ロルヴァケルは、現代と過去、現実と幻影を往還して、見事な寓話をつくりあげた。ここに表現されているのは、金が支配する現代社会の実相であり、それを乗り超えようとする女性たちの世界であり、そして何より、原題である「La chimera(幻想)」の力である。大切な人の思い出は、幻想であれ、明日を生き延びる糧を与えてくれる。
2024年8月15日 於いてキネマ旬報シアター
2023年イタリア・フランス・スイス映画
監督・脚本:アリーチェ・ロルヴァケル
撮影:エレーヌ・ルヴァール
編集:ネリー・ケティエ
出演:ジョシュ・オコナー、イザベラ・ロッセリーニ、アルバ・ロルヴァケル、カロル・ドゥアルテ、ヴィンチェンツォ・ネモラート
2024年8月20日 j.mosa