奇跡のコミュニティ――佐井大紀『方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~』

「イエスの方舟」。この名称は、私の心のどこかに引っかかるものがあった。それで、この映画が上映されていることを知り、何十年も前の記憶をたどる意味もあって、久しぶりに東中野の「ポレポレ」まで足を運んだのだった。

私の記憶の断片は、中年の男の教祖のもとに若い女性たちが集って、それを彼女たちの親が告白している、というものである。ちょび髭を生やした男性がいかにも軽薄そうで、女性たちは彼の魔手に落ちたのだろうか、という疑問ももったのだったか。

映画は、当時のテレビ報道も再現していて、私の朧気な記憶に合致している。私は当然のことながら、テレビや新聞の報道から、「イエスの方舟」を判断していたことになる。親たちは悲痛な表情で、宗教団体に絡みとられた娘たちの奪還を訴えている。

メディアを賑わしたのは1980年。「イエスの方舟」の主宰者は千石剛賢(せんごくたけよし)で、千石イエスと呼ばれていた。集団生活をする彼の聖書研究会に集ったのは、20代、30代の女性を中心とした20数人である。自らの意思で研究会に参加しているという彼女たちの姿も映されてはいるが、「イエスの方舟」を邪宗と独断する報道がほとんどである。

『婦人公論』は、1980年1月号に、「千石イエスよ、わが娘をかえせ」という家出女性の母親の投稿を掲載した。マスコミは、この記事を皮切りに、徹底的に「イエスの方舟」を糾弾した。「人さらい教団」「ハーレム教団」など煽情的な報道だった。一面の「真実」しかみようとしない、今に続くマスメディアの退廃ぶりである。

1980年7月2日、名誉毀損、暴力行為などの容疑で千石ら5人に逮捕状が出る。しかし翌年、容疑事実なしとして不起訴処分に。そして、この後、「イエスの方舟」の報道は途絶えることになる。千石はじめ研究会のメンバーがどうなったかは知る由もなかった。

45年の歳月を経て、「イエスの方舟」の人々は、博多近郊に元気な姿を見せていた。13人の女性たちが共同生活を送りながら、「シオンの娘」というクラブで生き生きと働いている。「シオンの娘」は、博多の中洲での40年近い営みのあと、2023年、自らの教会がある古賀市に新しく設立されたのだった。

毎日18時に開店する「シオンの娘」は、明るく楽しい。メンバーが歌い、踊るショータイムが一番の売りか。彼女たちはお酒は飲まないし、キャバクラのように客の隣に座ることもない。それでも常連客は多く、経営は結構成り立っているようだ。メンバーは、客の人生相談にものるのだろう。

共同生活を成り立たせるには、経済的基盤は不可欠である。「イエスの方舟」発足当初から、メンバーは水商売で稼いできたのだ。確とした考えをもちながら、コミュニケーション力にたけた彼女たちであったからこそ、可能であった歳月であろう。これは男にはできないことだ。そもそも男は、コミュニティをつくることが苦手である。

「シオンの娘」たちの日課には、1時間の聖書勉強会がある。キリスト教への信仰が、共同生活の核であったことは間違いない。千石剛賢が勉強会を引っ張り、彼の没後は、妻のまさ子が中心となった(剛賢は2001年、78歳で逝去)。まさ子は、剛賢と同じように「おっちゃん」と呼ばれている。この共同体のゆるやかな結びつきを象徴して、好ましい。

「パワハラとかセクハラとか、上から下へ、社会には色んな抑圧がある。親子関係だってそう。だけど私たちはそれが一切ない。振り返れば、方舟に入る以前は恐怖と共に生きてたんだなって思います」。これは古参のメンバー井上安子の言葉である(2024年2月14日「朝日新聞」)。このようなコミュニティが、現代の日本社会に存在することは、「奇跡」としかいえないような気がする。

2024年7月8日 於いてポレポレ東中野

2024年日本映画
監督:佐井大紀
プロデューサー:能島一人、津村有紀
撮影:小山田宏彰、末永剛、宮崎亮
編集:佐井大紀、五十嵐剛輝

2024年9月10日 j.mosa