2024年を締めくくる珠玉の音楽
『ウィリアム・テル』『皇帝ティートの慈悲』とふたりの名ヴァイオリニスト
「子どもたち、子孫のためにも、抵抗を止めるわけにはいかない。彼らの自由を守るために」。まるで、ロシアの侵略に抵抗するウクライナの人々の言葉である。ロッシーニの最後のオペラ『ウィリアム・テル』(1829年初演)は、14世紀、オーストリアの圧政に抵抗するスイス人の物語であった。圧倒的な力を持つ大国に、いかにして立ち向かうか。
スタンダールは「ナポレオンは死んだが、別の男が現れた」とロッシーニを絶賛した(1823年『ロッシーニ伝』)。ナポレオンが死んだのは1821年、ロッシーニがパリのイタリア座の音楽監督になったのは1824年。弱冠32歳である。パリばかりではなく、ウィーン、ロンドン、モスクワと、ロッシーニの音楽はヨーロッパを席巻していた。
若くして功成り名遂げたロッシーニが、なぜ、自由のために命をかけて戦う人々を描いたのか? 11月26日の、大野和士指揮の熱演を聴いて以来、この疑問が頭を離れない。「自由・平等・友愛」、このフランス革命の精神を、ロッシーニは間違いなく受け継いでいたに違いない。そして、思想ばかりではなく、作曲技法の限りを『ウィリアム・テル』に注ぎこんだ。ベルカントの美しい声、全編を圧倒する合唱、たたみかけるオーケストラ。この作品を最後に、彼がオペラ作曲の筆を絶ったのも分かるような気がする。
最後の作品といえば、モーツァルトの『皇帝ティートの慈悲』もそうである。『ウィリアム・テル』と同様、上演の機会は少ない。神聖ローマ皇帝レオポルト2世の、ボヘミア王としての戴冠式用に依頼された作品ゆえ、他の作品に比べて話の展開はいささか単調である。しかし、音楽の力がその弱点を補って余りある。12月1日の、寺神戸亮指揮の上演では、モーツァルトの力量を改めて実感した。
とりわけ、第1幕のエンディング。愛する女に唆されたセストは、皇帝ティートを殺害して逃げようとする。彼の心の懊悩、燃え上がる宮殿。クラリネットに伴奏されたセストの有名なアリア「私は行く、しかし愛しい人よ」は心に沁み、それに追いかぶさるオーケストラの迫力。圧巻であった。これぞモーツァルト!
ふたつのオペラの余韻冷めやらぬなか、今度は充実した演奏活動を続けているふたりのヴァイオリン演奏を聴く。樫本大進のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(12月9日)と、イザベル・ファウストのモーツァルトのヴァイオリン協奏曲である。後者は2番と5番(12月11日)。バックのオーケストラは、ヤルヴィ指揮のドイツ・カンマーフィル(9日)とアントニーニ指揮のイル・ジャルディーノ・アルモニコ(11日)。ともに抜群のバックアップであった。
樫本大進の奏でる音色があれほど繊細で美しいとは! 3階舞台横の席に、音が伸びやかに立ち昇ってくる。ヤルヴィの乗っているさまも手にとるように分かる。樫本はヒラリー・ハーンの急遽の代役であったのだが、落胆が喜びに激変したものだ。
バロックから現代音楽まで、幅広い分野で驚異的な活動を繰り広げているイザベル・ファウストは、是非とも生で聴いてみたいと思っていた。念願かなった11日の演奏会は、それこそ一期一会、音楽の素晴らしさ、喜びを、十分に味わわせてくれた。知性と感性が、彼女ほど見事に融合した音楽家も稀であろう。
10歳代のモーツァルトの音楽に、若さを超えた成熟と完成度を感じさせてくれた。繊細さ、甘美さ、それに激しさ。5番の第3楽章には圧倒される。さらにアンコール曲の深い幻想性! あとで調べると、ニコラ・マッテイス・Srの『ヴァイオリンのためのエア集』から「パッサッジョ・ロット」とのこと。
音楽は時間の芸術である。音は遠ざかる。しかし、その一瞬で消え去る音が聴く人の心に訴える力は、永遠という言葉が相応しい。今日を、明日を生きる力を与えてくれる。素晴らしい音楽を聴いた2024年の年末を、私は忘れることはないだろう。
『ウィリアム・テル』
2024年11月26日 於いて新国立劇場
指揮:大野和士
演出・美術・衣装:ヤニス・コッコス
歌手:ゲジム・ミシュタケ、ルネ・バルベラ、オルガ・ペレチャッコ
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
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『皇帝ティートの慈悲』
2024年12月1日 於いて北とぴあ
指揮:寺神戸亮
演出:大山大輔
歌手:ルーファス・ミラー、ガイア・ペトローネ、ロベルタ・マメリ
管弦楽・合唱:レ・ボレアード
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シューベルト:イタリア風序曲D591
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.61
モーツァルト:交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
2024年12月9日 於いて東京オペラシティ
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
ヴァイオリン:樫本大進
管弦楽:ドイツ・カンマーフィル管弦楽団
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モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第2番ニ長調K211
グルック:バレエ音楽『ドン・ジュアンあるいは石の宴』
モーツァルト:ロンドハ長調K.373
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K219〈トルコ風〉
2024年12月11日 於いて東京オペラシティ
指揮:ジョヴァンニ:アントニーニ
ヴァイオリン:イザベル・ファウスト
管弦楽:イル・ジャルディーノ・アルモニコ
2024年12月28日 j.mosa