アムステルダムの平和と戦争―スティーブ・マックイーン『占領都市』

この映画をつくった人々は、アムステルダムという街を心から愛している。これが、映画を観終わって思った第一の感想である。ナチスに支配された5年間(1940年5月-45年5月)がテーマであるにもかかわらず、鑑賞後ある種の爽やかさを感じたのは私だけではないだろう。

アムステルダムという街が、よく知られた建物や広場だけではなく、何の特徴もない平凡な通りや公園まで、じつに多様な顔をして映し出される。むしろ、名も知れない場所にこそ、監督の優しい目が注がれる。そこには、老夫婦が仲良く散歩をしていたり、子どもたちが無心に遊んでいたりする。

それゆえに、その映し出される平和な映像について語られる、80数年前の出来事の残酷さに、胸が締めつけられるのである。アムステルダムには当時80万人が暮らしていた。そのうち10万人以上が虐殺された。もちろん、ほとんどがユダヤ人である。

この映画は次のような表現方法をとっている――なんの変哲もないアパート3階の外観の映像が流れる。現在のアムステルダムのある一隅。そこにナレーション。「ここはX街3の2番地。1943年3月、ここに隠れていたユダヤ人の家族4人は、ナチスの親衛隊に発見され、アウシュビッツに送られた」。

このように、まことに淡々と、いまのアムステルダムの一区画の、80数年前の歴史が語られる。映画に取り上げられている場所は130ヶ所。それらについて、同じような調子で、残酷な物語が展開する。延々と、4時間11分も。アーカイブ映像やインタビューなどはほとんどない。観るものは、現在の平和な光景と、残酷な歴史のギャップに愕然としながら、アムステルダムという街の全体像を脳裏に描くことになる。

私たちはアンネの物語をよく知っている。本にもなり、何度か映画にもなっている。舞台はアムステルダムである。狭い屋根裏部屋に一家含めて7人が閉じ込められ、ナチスの目を恐れながら暮らしている。彼らを匿うのはオランダ人。自らも命をかけてアンネ一家を守るのだった。手に汗を握りながら映画を観たものだが(1959年のジョージ・スティーヴンス監督作品)、このアンネの物語が、アムステルダムでは1万以上も存在したのだ。ユダヤ人を守ったオランダ人、裏切ったオランダ人。そのようなオランダ人が数知れずいた。

コンセルトヘボウは、音響が優れていることで有名な音楽ホールである。このホールを映しながら、ナレーターは名指揮者のウィレム・メンゲルベルク(1871-1951)について語る。彼は亡命することなくアムステルダムに残り、ナチスのために指揮をした。それゆえ、戦後は戦犯として楽壇を追放される。しかし彼は、多くのユダヤ人の音楽家を救ったという。真実はひとつではないことも、この映画は伝えている。

この映画は、監督の連れ合いが書いた2019年刊の書籍を原作としている。映画に取り上げられている場所は130ヶ所だが、原作には2000もの場所が記述されているという。悲惨に満ちたその膨大な物語は、何をもとにして、どのように書かれたのか。詳細は知る由もないが、アムステルダムという街への愛なくしては不可能であったことだろう。そして思った。東京で、このような物語が書かれ、また映像化されることが、はたして可能なのだろうか、と。

2025年1月4日 於いてキネマ旬報シアター

2023年イギリス・オランダ・アメリカ映画
監督:スティーブ・マックイーン
製作:フロア・オンラスト、 スティーブ・マックイーン、 アンナ・スミス・テンサー、 ビアンカ・スティグター
原作・脚本:ビアンカ・スティグター
撮影:レナート・ヒレヘ
編集:ザンダー・ネイストン、 スティーブ・マックイーン
音楽監修:ローラ・ベル
ナレーション:メラニー・ハイアムズ

2025年1月17日 j.mosa