19歳と79歳の恋物語――ハル・アシュビー『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』
歳の離れた恋人同士というのはもちろん存在する。私の友人にもいて、彼は予備校講師。歳の差30歳をものともせず、教え子と相思相愛となった。彼女が大学を卒業し研修医を終えるまで待って結婚したのだが、幸せそうである。
歳の差が大きい恋人同士は、経済的・社会的な要因があるとみえて、大体において男性が年上のようである。しかし女性の社会的進出にともない、その逆も増えてきているような気もする。この映画の恋人同士も女性が年上。しかし問題は、その年齢差である。
なんと、未成年の19歳の青年(タイトルには少年とあるが)と、79歳の女性のカップルである。この年齢差、しかも女性が年上という設定こそがこの映画の狙いで、社会の常識に正面から挑戦した。そして、男女の愛の本質を見事に描いたのである。
青年ハロルドが首吊り自殺をしようとする場面から映画ははじまる。立派な家具に囲まれた部屋。台を蹴って宙にぶら下がったところに、母親らしき女性が入ってくる。しかし彼女は冷静そのもの。「もっと苦しそうな顔をしなくちゃ」と部屋を出ていく。どうやら狂言自殺は常習であるらしい。
死にとりつかれた青年は、一番興味があることは?という精神分析医の質問に、「葬式」と答える。霊柩車仕様のマイカーで他人の葬儀に参列するのも、いつものこと。その見ず知らずの人の葬儀の場で、老女モードと出会ったのだった。彼女も葬儀が趣味のひとつであった。
死への興味を共有することでふたりの仲は深まるのだが、アプローチの仕方はむしろ逆だったといえる。裕福な家庭で、母親の支配から抜け出られないハロルド。母親に行動の先まで読まれて、自由な精神を喪失している。死への願望だけが、母親に対抗できる唯一の心のありようだった。
いっぽう、モードは、死に再生のイメージをいだいている。それに、何かにつけて、肯定的・意欲的である。しかし、なぜそうなのかは、明確ではない。ハロルドの生態については詳しく語っているにもかかわらず、モードへの言及は極めて少ない。彼女は、ウィーンの舞踏会のことを思い出したりするのだが、断片的で、その分、神秘に満ちている。腕にあるかすかな入れ墨をチラリと見せるのも、ナチスから受けた虐待を想像させて、心憎い。
他人の車を平気で拝借したり、枯れそうな街路樹を掘り起こして森に植え替えたりと、奔放な行動を繰り返すモードに、ハロルドは次第に惹かれていく。モードの行為は、ちまちました母親への反抗とは桁が違うのだった。それにモードは、79歳という年齢を感じさせない。演じるルース・ゴードンは撮影当時75歳。深い皺が刻まれているが、可憐で美しい。
ハロルドが、モードと結婚すると宣言したときの、周囲の人たちの反応が面白い。母親はもちろん茫然自失。軍人の叔父は普通じゃないと反対し、精神分析医はフロイトでも理解不能といい、神父は吐き気がすると突き放す。しかしふたりはめげることはない。ふたりの間には、他者には想像できない深い慰めがあったのだ。
映画の結末には心乱された。モードが80歳を迎えた日、ふたりは誕生日のパーティを楽しむ。オーガニックのワインを飲み、ワルツを踊り、着飾ったモードはとても若々しい。そして、ハロルドにそっと囁く。「素敵なお別れになりそう」と。モードは、幸福のなかで死ぬことを願っていたのだ。ハロルドの将来を考えていたこともあろう。薬を飲んだから、今夜には死ねる、と打ち明ける。
モードの死は、ハロルドにとって、どれほどの痛手だろう。彼は霊柩車仕様の車のハンドルを握る。雨のなか、街を出て、森を抜け、田園を走る。そして、海を見渡せる断崖までスピードを緩めることはない。「おい、ハロルド、死ぬなよ!」と私は心のなかで叫んでいた。車はそのまま、海に向かって真っ逆さまに落ちていく。
ハロルドは、死ななかった。断崖の上から、砕け散った車を見つめている。肩から、モードから貰ったバンジョーを吊り下げて。寂しげに断崖から去っていく彼の姿は哀れだが、姿が小さくなるにつれ、少しずつ変化を見せる。バンジョーを弾きながら、踊っているようにも見えるのだ。青年は確かに、「虹を渡った」のにちがいない。
2025年2月5日 BS松竹東急で放映
1971年アメリカ映画
監督:ハル・アシュビー
脚本:コリン・ヒギンズ
製作:コリン・ヒギンズ、チャールズ・B・マルヴェヒル
出演:ルース・ゴードン、バッド・コート
音楽:キャット・スティーブンス
撮影:ジョン・A・アロンゾ
編集:ウィリアム・A・ソーヤー、エドワード・A・ワーシルカ・ジュニア
2025年2月22日 j.mosa