激しさと優しさ、そして夢の世界――アリス=紗良・オットのモーツァルトとラヴェル

世界がコロナウイルス禍に見舞われていた2020年6月4・5日、ミュンヘンのガスタイクフィルハーモニーで、オクサーナ・リーニフ(1978年生まれ、ウクライナ出身)指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会が開かれた。無観客のその舞台は映像化されて、後日NHKBSで放映されたのだが(2021年9月12日)、私はそのなかのアリス=紗良・オットのピアノにいたく魅惑されたのだった。彼女は1988年生まれでドイツ出身。母親が日本人である。
彼女が演奏したのは、モーツァルトの『ピアノ協奏曲第13番』。モーツァルトをことのほか愛する私は、ピアノ協奏曲はとりわけよく聴く分野である。それでも13番は、20番以降の曲に比べて、耳にする機会は少ない。改めて、ああ、この曲も名曲なんだと認識したのだった。
とりわけ第2楽章の、軽やかで、しかし深々としたロマンティシズムは、この後の数々の名曲を予告しているよう。アリス=紗良・オットは、モーツァルトの音楽を全身で表現する。顔の表情はもちろん、左手が鍵盤を離れると、その手は優雅な舞をまう。まるで弾き振りをしているようで、彼女の体内は音楽で満たされている、と思ったものだ。
アリス=紗良・オットに興味をもったのは、以上の映像からだけではない。彼女は2018年に、多発性硬化症という難病におそわれる。暫くの闘病の末、コンサートに復帰した。しかし、かつてチェリストのジャクリーヌ・デュ・プレが同じ病で音楽を諦めたこともあり、私は密かに心配していた。デュ・プレは1987年に、42歳の若さで亡くなっている。病のこともあるのか、可能な限り自然体で、というのが彼女の生活スタイルのようだ。コンサートに裸足で登場するのも、その生活の一環であるのだろう。
7月5日の都響の定期演奏会は、アリス=紗良・オットのピアノを聴くことが主な目的だった。ラヴェルの『ピアノ協奏曲』を、彼女はどう弾くのだろうか、と。私はラヴェルのいい聴き手ではないけれども、サンソン・フランソワの弾くピアノ曲は、時々耳にする。精緻を極めた繊細さで、豊かな音色を響かせる。モーツァルトのふくよかな陰影とはまた異なった世界である。
アリス=紗良・オットがどんな服装で登場するか、じつはこのことも興味の対象だった。モーツァルトを弾いたときは、大きな赤い花模様の上着を軽く羽織って、下は黒のパンツ。颯爽として、まことにカッコ良かった。その印象があったので、まるで人魚のような細身のドレスを纏った当日の姿には驚いた。水色のドレスは、全身がキラキラと輝いている。そうか、ラヴェルの曲に合わせている、と納得したのだが。女性の音楽家は、指揮者はともかく、服装でも音楽を表現する。
さて、ラヴェルの『ピアノ協奏曲』である。ピシャリ!という鞭の一撃ではじまる第1楽章、金管楽器のファンファーレが印象的な第3楽章、ともにピアノは超絶技巧を要する。彼女は軽やかにリズムを刻み、鮮やかに弾きこなす。白眉だったのは第2楽章である。長いもの憂げなピアノ独奏ではじまるのだが、木管楽器と対話する後半は、まるでキラキラと宝石のような川の流れで、夢幻の境地に引き込まれた。激しさと、優しさと、夢の世界と、あらゆる音が彼女のなかには存在する。アンコール曲はエリック・サティ『グノシエンヌ第1番』。これから暫く、フランス音楽に耽溺しよう。
指揮のカリーナ・カネラキスについて一言。1981年アメリカ出身で、日本初登場である。リーニフと同様、女性の指揮者が世界で活躍しつつあることはまことに心強い。彼女は、マーラーの破天荒な交響曲が、「歌」を基盤としていることを強く認識させてくれた。『交響曲第1番』は、マーラーの歌曲からの援用が聴きとれるのだが、彼女の指揮ほど歌を体感させてくれる演奏は聴いたことがない。今後のさらなる活躍が期待される。
2025年7月5日 於いてサントリーホール
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
マーラー:交響曲第1番 ニ長調《巨人》
ピアノ:アリス=紗良・オット
指揮:カリーナ・カネラキス
管弦楽:東京都交響楽団
2025年7月14日 j.mosa



