未来をひらく日本オペラの誕生!
北沢方邦台本・西村朗作曲の《バガヴァッド・ギーター》

11月23日に、北沢方邦台本・西村朗作曲の《バガヴァッド・ギーター》が、サントリーホールのブルーローズで世界初演された。メゾソプラノ、テノール、打楽器群による室内オペラである。
打楽器でオペラ!

かつてない試みに、意表をつかれた方が多かったようだ。一般財団法人知と文明のフォーラムの委嘱するオペラに対する条件は、テーマが「バガヴァッド・ギーター」、それを打楽器で構成する、というものだった。西村朗は、その困難な要請にどう応えたか?

そもそも、声と打楽器の相性はいいとはいえない。メロディを奏でられる楽器はマリンバくらいだし、打楽器の形態は多様とはいっても、物語を語るには総じて響きが単調すぎる。打楽器でのオペラがかつて存在しないのは、当然のことなのだ。

もちろん、日本のオペラである能は、笛の他は3種類の太鼓でのみで伴奏されるし、アフリカの舞台劇の主要楽器は打楽器である。しかし、それらの打楽器は、あくまで謡い・語りの伴奏なのではないだろうか。ヨーロッパで誕生したオペラにおいて、オーケストラの担う役割は歌手と同等である。《バガヴァッド・ギーター》での打楽器群はオーケストラに代わるもので、この意味では、他に例のあることを知らない。

委嘱条件であった「バガヴァッド・ギーター」も、オペラ化が容易なテーマではない。ストーリーはないに等しく、王子アルジュナと神(バガヴァッド)クリシュナとの哲学的対話が主たる内容なのである。どのようにして1時間半に近いオペラに仕立て上げるのか。

北沢方邦の原作台本を得て、西村朗は見事にそれらの困難を克服したといえるだろう。舞台一面に展開された打楽器の群れ。マリンバやティンパニや太鼓などの既知の楽器は少なく、名前の知らない、あるいは得体の知れない打楽器が所狭しと並んでいる。これら打楽器群から、西村はじつに多様な音を紡ぎ出した。アルジュナの苦悩、クリシュナの威厳、サンジャヤの軽薄、アプサラの典雅、さらには変身したクリシュナの大いなる怒り……。打楽器の音を単調と決めつけた自分を恥じるばかりである。

原作台本にこめられた北沢方邦の思想も、明確に表現されたと思う。クリシュナとアルジュナの問答の間隙に、瞑想や天女の舞の場面などが挿入されることによって、音楽はより重層的になったし、表現内容もよりクリアとなった。迷えるアルジュナと諭すクリシュナの対比が強調されたのである。

chapter3〈アルジュナの嘆き〉におけるアルジュナとクリシュナの二重唱は、高声と低声が天に向かってからまり合い、恍惚の境地に陥った。また、chapter4の瞑想の音楽は、音そのものが雲形を成し宙に浮かぶ。快いことこの上ない。続くchapter5〈アシュラの宴〉は一転してチャンチキのリズム。この間の自在な音の変化には、まったく息をのむ思いであった。

クライマックスはクリシュナ変容の場面で、7人の打楽器奏者も10人、15人に変容する。ホールが割れんばかりの大音響である。怒れるシヴァ神に変容したクリシュナだが、その怒りはまた美しくもある。怒りと赦しの二面性――これこそこのオペラの最大のテーマではないか。

6月に新国立劇場で初演された《夜叉が池》(香月修作曲)には、おそらく多額の助成金が国より交付された。そのあまりにも後向きの作曲姿勢には愕然としたものだが、本作は、知と文明のフォーラムという一弱小法人の手で企画、上演された。財政的負担を考えると、これは暴挙としかいいようがないが、日本オペラを未来へとつなぐ作品が産み出されたという点で、これを快挙といわなくて何というべきか。

2013年11月23日世界初演 於いてサントリーホールブルーローズ
出演者
加賀ひとみ(アルジュナ)
松平敬(クリシュナ/サンジャヤ)
板倉康明(指揮)
上野信一&フォニックス・レフレクション(打楽器オーケストラ)

2013年11月27日 j-mosa